[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つた! 彼はその場から力の限り逃げだした。彼の眼の前はすべてが真紅の光りにつつまれて見えた。すべての樹々が血を浴びて赫つと燃えながら呻いてゐるやうに思はれた。空も真赤に灼けただれて揺らめいてゐた……。稲妻のやうな火の玉が眼の中できらめいた。ぐつたりと、精も根も尽き果てて彼は自分の荒ら屋へ駈けこむなり、藁束のやうに地面《ぢべた》へぶつ倒れてしまつた。そのまま死のやうな睡魔が彼を捉へてしまつた。
二日二夜のあひだ、ペトゥローは一度も目を醒さずにぐつすり眠りとほした。三日目になつてやつと夢から醒めた彼は、長いあひだ自分の家の隅々を眺めまはした。何ごとかを思ひ出さうとして躍起になつたが、どうしても思ひ出されない。彼の記憶は、まるで老いぼれた吝ん坊の衣嚢《かくし》と同じで、これつぱかしも絞りだすことが出来ないのぢや。ふと、伸びをした時、彼は足もとで何かザラザラと音がするのを耳にとめた。見れば、金貨の袋が二つもあるではないか。やつと、この時、夢のやうに、自分が何か宝を捜してゐたことと、森の中でただ一人、何か怖ろしい目に会つてゐたことを思ひ出した……。だが、
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