いふ、毛むくじやらな無数の手がさしのばされた。そして彼のうしろでは何者かがあちこちと駈けまはつてゐるらしい気配がする。彼は眼をつぶつて、その茎をむしり取つたが、首尾よくその花は彼の手に入つた。あたりが急にしいんと静まりかへつた。すると、木の切り株のうへに坐つて、まるで死人のやうに色蒼ざめたバサウリュークの姿が現はれた。彼は指いつぽん動かさなかつた。両の眼は何ものか、ただ彼にだけ見えるらしいものにむかつてじつと凝らされてゐた。口は半ばほころびてゐたが、なんの応《いら》へもない。あたりには蠅の羽音ひとつ聞えぬ。いやはや物凄いのなんのといつたら!……ところがその時、さつと一陣の風が起つて、ペトゥローは肚の底からぞうつとした。そして、草がさやさやとそよぎ出して、さながら花が互ひに銀鈴を振るやうな細い細い声でささやきはじめたやうに思はれると、樹々は怒号するやうな物凄い音をたてて鳴りはためいた……。と、バサウリュークの顔は急に生気を帯びて、その両眼がぎらりと光つた。『やつと鬼婆《ヤガ》めが帰りをつたな!』さう彼は、歯の隙間からつぶやいた。『よいかペトゥロー、今すぐにお主の前へ凄い別嬪が姿を見せるか
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