んじゃないかい?』
『疑う?』
『やっぱり早過ぎるんだろう。漸く七時半位のものかな。でも、どうせ今日は繰り越し仕事が溜っているんだから、偶《たま》には早出も信用を取り返していいだろうさ。……おや! どうも先刻から此方の足が入らないと思っていたら、両方とも右足じゃないか! ちえッ、四月の馬鹿野郎め! 御丁寧に古靴なんか持ち出しやがって!……』文太郎君は三和土の上に靴を投《ほ》うり出すし、エミ子さんは仏蘭西《フランス》鳩のような声を出して笑いました。恰度その折から、電話のベルが鳴りました。
『ハイハイ。こちら兎沢でございます。……おや、山崎さん、お早ようございます。ええ、ただ今、靴をはいているところで……文ちゃん、何を寝ぼけたことか、こんなに早々と、おホホホ……。え? 何でございますって? 今日会社お休みですって? まあ、いいえ、ちっともそんなこと申して居りませんわ。はあはあ、南京鼠の改良種をね。まあ、左様でございますか。え? ちょっと、お待ち下さいませ。』
 エミ子は、電話口を手で蓋して、如何にも吃驚したような顔で文太郎君に詰問しました。
『文ちゃん。今日お休みだっていうじゃありませんか
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