の実家で育ちました。――父だけは、何と云っても此方《こちら》へ帰ることを承知しなかったそうです。』
『なぜでしょう?』
『知りませんが――』
『…………』
 智子は、この時ようやく母親の顔色がひどく蒼ざめているのに気がついた。
『お母さん、御気分が悪いのじゃなくって?――』
 そう云いながら、その手を握ると、冷たく汗ばんで慄えていた。
『ほんの少し頭痛がするだけなんだけれど、――ちょっと休ませて頂こうかね。』
 母親は、浅原に会釈してから、娘に肩を支えられて力ない足どりで出て行った。
 智子が一人で部屋へ戻って来ると、浅原は思い切ったように智子に云った。
『智子さん、あなたのお父さんの写真と云うのを、見せて下さい。』
 智子は直ぐに立ってアルバムを出して来た。彼女も何かしら容易ならぬ不安を感じて、アルバムをめくる指さきがおののいた。
『ああ!……』
 智子に示された写真を見て、浅原が鋭い叫び声を立てた。
『僕のお父さんだ!――いや、少くともこの写真はそうです。僕はこれと同じ写真を家から持って来てお見せすることが出来ます。……』
『そんな莫迦な!』
 智子は、いきなり真暗な底の知れない穴
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