に、少々感心してしまつた。他の若い連中も、皆感心して居る様だ。すると、又、口を切つた者がある。
「俺も君等に、自慢話をして聞かせようかな。俺は四年君とは、少々方面の異つた方で、四年君が旅順と云ふなら、俺の方は沙河とでも云ひたいね」鬚があつたら捻《ひね》りたいと云ふ処だが、生憎《あいにく》、鬚もなければ手も無いから致し方がない。「其れは聞き物だな」、一同がおだてると、其の話しは次の様であつた。
「実は、俺がこれ迄行つてゐた方は、小使部屋、雪隠、湯殿、などの方面だつた。俺が初めて来た折は、西寮の小使部屋へ持つて行かれたのさ。勿論小使部屋だ、マツチ箱の様な中に持つて来て、角火鉢、大薬鑵、炭取、箒、寝台、布団、机、鈴、乃至茶碗、土瓶、飯箱、鉄串に至るまで、まるで足の踏み処も無い始末、もし火事が始まつた時には、小使はキツト焼け死ぬるに異ひないと思つた。秋小口はさうでもないが、追々と、富士山が白うなつて来る頃になると、小使部屋の火鉢にだん/\と、炭をたくさんつぎ出す、それと共に、生徒がこの狭い小使部屋に押しかけて来る。小使の椅子をチヤンと占領してしまつて、火鉢をグルリツと取りまく。尤も、こんな事をやるのは古い生徒ばかりだが、すると小使は、法螺貝の中から追ひ出されたヤドカリと云ふ見えで、傍にシヨンボリと、斑になつた小倉服を衣て、寒さうに立つて見てゐる。コツチは一向頓着なしで以て、笑つたり、うなつたり、小使なる者の存在は、もとより眼中に無いので、時によると、国から可愛い息子に送つて来た餅だの、魚だのを持つて来て、鉄串で焼いて喰ふ。皆、狼の様な連中だもの、御溜りコボシが有るものか、あはれ息子に、あの可愛い息子に喰はせようと、はる/″\送つて来た餅は、支那の様に、見る間に蚕養せられてしまつて、肝心の息子様は、ヤツト一つ、呑みこんだか呑み込まんかと云ふ有様、もし、ソロ/\噛んで居ようものなら、それこそ、半分も此の息子は喰はなかつたであらう。俺はつら/\考へたね、決して江戸に出て居る息子なぞに、餅を送つてやつたりする者ではないと。
 或日の事で有つたが、朝から、ドン/\と云ふ大雪、小使部屋は従つて素敵な人数、小使は壁の方に押し付けられて、小さくなつて居る。も少し押したら、小使は大方、壁の中に塗り込まれてしまふだらうと、心配した程だつた。従つて、話も随分始まる。一番火鉢の傍にかまへて居た、化物見たいな生徒が、「そー、メチヤ/\に云ふ程でもない、酒を呑むつて、決して害計りは存在して居ないよ」と云つた。調子が、馬鹿に高かつたので、フイと耳を傾けると、「総て君、物には両面ありさ。楯の表裏も古い話しだが、行くと云ふ裏には帰ると云ふ奴が隠れてゐる。上ると云ふのは下ると云ふのを意味して居る。要するに、燗徳利主義と云ふのだ。とは、其れ燗徳利は銅壺の中に、這入つたり又出たり、出たり這入つたり、這入るのは即出るにある処、出るは即這入る処と云ふのさ。何しろ、善い処と悪い処とは必ずクツ付いて居る物だ。一がいに、冬を寒いと云つて炬燵に尻を焙つて居る快楽を無視するのはいかん。成程、酒はストーム、始めてか知らんが、昨夜、君等が見たと云ふ化物連の事を、ストームと云ふのだ。其のストームの玉子かも知れん。だが、ストームの快不快、利不利は別問題としてもだ、酒なる物が、所謂、大人君子連に、与へて居る利害の点に関して、ストーム以外に、猶大なる物があるであらうと思ふ。我輩は、酒その物が悪いと云ふ事を、しば/\聞かされたが、此のその物が悪いと云ふ事は、根本的に云ひ得ない事だと思ふ。これは丁度、太陽その物が好いとか、悪いとか云ふのと同じで、全く、ノンセンスの話さ。即、我輩が述べたいのは、酒と吾々大人君子の境遇と、此の相互間の接触上に出て来る利害だ。其利害を云ふに付て、一応、我輩の所説、勿論、酒以外の、に付て聞いてもらはんければならない。
 抑、吾々人間は、嗜好性と云ふ物を有してゐる。嗜好性を有して居ない人間は決してない。其嗜好してゐる物の、性質が高尚だとか、卑しいとか、高いとか、低いとか、そんな事は別問題として、兎に角に、人間には嗜好、何等かの嗜好がある。否、此嗜好が無ければ、人間は生存して居る事が出来ない、と云つても過言では無いと思ふ。吾々が、朝から晩迄、嫌ひな物計りやらされて居つた日には、どうして生きて居たいと云ふ考は出て来ない。此の嗜好、自分が好きな事をやる、と云ふ点で以て、人間は生存して居るのだ。所謂、生きがひが有るのだ。此の嗜好は、人間の生命と云つてもよい。斯様な大切な物であるからして、もしかゝる嗜好が、他人からして奪はれる、取られてしまふ、もしくは、無くなると云ふ様な場合には、必ず、第二の、それに相応する、或は、それ以上の嗜好を求めんとして、働く、否遂に求めなければ止まないのだ。これは、事実を以て示さなくとも、解る筈だ。処で、吾々の今の状態はどうだ。成程、大人君子には相違ないけれ共、此の大人君子は、青年と云ふ大人君子だ。青年とは、他の言葉で以て云ふと、嗜好が非常に多い時代だ。何でも一寸気に向いた物は嗜好してしまふと云ふ時代なのだ。猫も来い、杓子も来い、と云ふ時だ。成程浅いかもしらぬが、広いさ。かう云ふ時代に当つて、所謂、大人君子なるものに、酒と云ふ嗜好を与へて見るとする。すると其結果はどうだらう。此所で一寸、酒の性質に付て云ふ可き必要がある。酒ぐらゐ微妙な物は無い。詩的な物はない。酒を呑むと云ふと、妙に気が大きくなる。六大洲は掌位にしか見えた物では無い。酒を呑んで中には泣く奴も有らう、怒る奴も有らうが、まづ大抵の者は、非常に愉快になつて来る、面白くなつて来る、無邪気になる。千鳥足になつて来る。こんな一種云ふ可からざるミステイカルな性質を以て居る物は他には有るまい。扨、斯う云ふ素敵な、面白い、愉快な酒なる者の趣味を、嗜好の馬鹿に多い、吾々大人君子に持つて来て与へるのだから、猫に鼠だ。忽に酒が好きになるのと云ふのは、無理もない話だ。其結果はどうだらう。勿論、学生の境遇だから、毎日はやれないが、一週間に一度位宛、金の有る時は、同好を誘つて、酒を呑みに行く。愉快になる、無邪気になる、豪傑気取になる、大きくなる、菓子が嫌ひになる、シルコが厭になる。凡そ、僕が知つてゐる酒党連中の経路は、以上の通りになつて行くのだ。此処で又考へて見るに、吾々の今の境遇で、酒の外に、猶、一層、強い嗜好力を有してゐる物が他に無いであらうか、と云ふと、それが大に有るのだ。しかも、大に危険なる物が有るので有る。処でだ、今此の酒党から、酒を呑むと云ふ嗜好を奪つてしまふと、其結果はどうで有らう。到底、其嗜好を取ると云ふ事は出来ないかも知れぬが、まづ出来るものとして見ると、其結果は、それ、酒以外に於て、それ以上に危険な嗜好を求めなければ遏まない、と云ふ事になるは必定だ。かく云ふと或は君等の内に、そんな浅薄な議論はやめにしろ、小供に菓子をやつて置くのは、決して最後の目的では無い。君の云ふ事は、甚卑劣な、弥縫《びほう》策に過ぎない。君は、酒の嗜好を奪へば、他の危険なる嗜好に走ると云ふけれ共、元来、酒を呑まぬ者はどうする。況んや、酒が、吾々の身体、脳力、理性、品格等に及ぼす大害に至つては、到底、容易《たやす》く云ふを得ない。近くばストームを見よ、などと、我輩を攻撃するかも知れないが、我輩は尚、君等の説に、賛成する事は出来ない。酒を呑まぬ人間とは、即酒を呑んでも呑めない、遂に酒の味を解する事が出来ない人間であるから、こんな人間は、酒に付て、かれこれ云ふ資格の無い者である。盲目は遂に向島の桜を語る可からずだ。一寸、云つて置きたいのは、酒を呑むと云ふ事と、大酒をすると云ふ事を混用してもらつては困るよ。過度と云ふ事は、総てに於ていかん。豈独酒のみならんやだ。それから、君等が云ふ酒が身体等に及ぼす害だ。此の害と云ふ奴も、随分六かしい説明を要する事だらうと思ふが、少なくとも、僕の知つてる処では、酒(大酒ぢやないよ)は、決して吾々の身体に、害を及ぼさないと確信して居る。医師が云ふ事などは勿論、吾々の眼中に無い。と云つて、頑冥インノセントブライド野蛮人、ガリ/\亡者と思つては困る。要するに、医師と云ふ者は、出来る丈命を延ばしたいと云ふ処を目的として、割出すによつて、少しでも身体に、害になりさうな奴は、ドシ/\、否定してしまふのだ。しかし吾々人間が、如何なる状態に於てもかまはず、匍つて居ても、寝て居ても、出来る丈、長命をすると云ふを以て、最終目的とす可きであらうかどうかと云ふ事は、中々むつかしい問題だ。僕に云はせればだ、春雨に叩かれながら、猶、枝にクツ付いて、まつ青に恨めしさうな梅の花よりも、寧ろ一夕の狂風に、満枝をアツサリと辞して去る桜花をこのむのである。現に医師の身知らずを実見するに至つては、御本人も、桜花をこのむと見える。短かい小便を垂れて、小さい糞をして、百迄生き延びた処で何になる。大飯を喰つて、大糞をたれて、定命五十年で、アツサリとやりたいではないか。かうなつて来ると、物の利害と云ふのは、君等の云ふ利害とは、少しく性質を異にして、来はしないかと思ふ。僕の云ふ処は、或は間違つて居るかも知れないが、僕は自ら好む処に随つて行くのみだ。糸瓜となつてブラ下らんよりは、西瓜となつて喰はれたいと云ふ奴だ。余けいな事だが、我輩が、屡※[#二の字点、1−2−22]、禁酒会員とか、禁酒会とか云ふ事を耳にする、この位可笑しい物はないと思ふ。酒屋連中と喧嘩する考へかも知れないが、甚以て意を得ない。早い話がだ、我々が、生徒会と云ふ物を作つて学校に行くとして見る、こんな馬鹿な事が有らうか。学校に行くのは、生徒会員でなくとも、生徒会員であつても行くのだ。生徒会が無けらねば、学校へ行かないと云ふ奴は、余程の馬鹿では無いか。禁酒会員なるものは、意志薄弱会、とでも改名した方がいいだらう」。酒でも一杯飲みたいと云ふ顔付。此時、「ヲイ食堂があいたぞ」と云ふ者がある。此一声で、蜘蛛の子を散らす如く、小使部屋は見る間に寂寞としてしまつたのであつた。
 君等も、一度は小使部屋に這入つて見る可しだ。中々面白い事がある。だが、門衛の処も随分愉快だよ。全体、八時で禁出入とか云ふのださうだが、大嘘だ。九時になつても通る、十時になつても通る、十一時、十二時になつても出入するよ。なに、札なんか裏返すものか。門衛の奴も、余程、呑気な奴でなけらねば出来る商売ぢやないね。朝から晩まで、壁を眺めて居たり、小便をしたり、人形を書いて見たり、新聞広告を読んで見たり、それで、夜中に寝てから迄、起きて出て戸を開けねばならないなんて、目出度い奴さ。それで以て、時には、生徒に虐待せられる事も有るのだもの。さうだ昨年であつたか、或晩、十一時も既に打つてしまつたので、門衛君が今や門を閉ぢようとした時、ヒヨロリ/\と帰つて来たのが、生徒の奴さ、イキナリ「ヤイ門衛、俺の名を消せ、ケケケ消さぬか、野郎!」、門衛の、其のテカ/\した頭を、ポカリと御見舞申さうとした時、又、やつて来たのが一人の生徒さ。これは酒に酔つて居ないと見えて「ヤイ、待て/\、何だ」と、酔つて居た奴を抑へると、「放せ、放せつたら放せ、門衛の奴、自治の何たるかを解せない、見ろ、俺の名を消さんとぬかすのだ。かるが故に、一本ポカリと」、「まー待て、そりや君が悪いよ、大人しく帰つて寝ろ」、「何、俺が悪い、貴様も又、自治を解せないと見える。俺の言ふ処を暫く聞けだ。夫れだね、夫れ自治なるものは、一年や一年半、寮に居たとて、解る物ではない。少なくとも三年、多くは、四年居らんければ解らない。之を換言すれば、自治は無規則なり、規則無き也だ。而し、只之丈では、君見たいな一年級は、誤解を来すだらう。無規則とは、要するに之、一種の規則であるのだ。『規則が無い』規則と云ふ規則なのだ。抑、自治には三階級がある。第一は真正の自治だ。第二は半自治だ。第三は似而非自治と云ふのだ。勿論、自治の目的は、この真正の自治となる処にあるのだけれ共、到底、吾々は真正の自治と云ふ物を見る事は
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