ないが、騒いで、唸る、踊る、喰ふ、しかも議論がすさまじい、イヤ、ともすると、真に口角泡を飛ばして、まるで烏賊の墨を吹く様、汚なくて、はたには寄り付かれない始末だ。或日の事、中の騒人、頭の馬鹿に大きい男が、少々、風の気味と云ふので、切りと、猫の様なクシヤミをして居る。すると、其すぐ向ひ側に居た色の白い男が、平生、毒舌を以て自任して居るさうだが、「風邪を引く様な不景気な奴は早く寝てしまへ」と云つたのだ。処が、それから大議論さ。「引いた物は引いた物だい」と大頭が云ふ。全く怒つて居た様だ。「引かない物は引かないさ」、と白頭は軽く流す。「貴様は、風を引かないのを得意として居るけれ共、抑《そもそも》、世人皆風邪を引かざる時は、風邪薬屋は如何せんだ。貴様はドダイ個人主義だからだめだ。二十世紀は、社会(全体)主義でなくてはいかんよ。世の中は、一本立では遂になる能はず、寄りつ寄られつ、吹きつ吹かれつ、と云ふ処で以て社会あり、国家有焉さ。貴様には、自分の睾丸より外には無い物と思つてるからいかん。凡て、社会(全体)主義なるものゝ有難さを、君等見たいな個人主義者に、例を以て示してやらう」、「成可くなら食物の例でたのむよ」と、白頭が茶化す。「え、黙つて居ろ。君等も十人十色と云ふ事位は知つて居るだらう。要するに、十人十色とは「異」と云ふ事を通俗的に云つたものだ。「異」とは、即「異」で有つて「異なれり」だ。凡そ宇宙間に同じ物は一つもない。なに有る、何だつて、君と大頭とは同じ物だつて、よせ、馬鹿野郎!」白頭は笑ひながら曰くさ「それは笑談だが、実際、僕は有ると思ふ。近い処が、男と女とは同じものだ。夜と昼、天と地、美と醜、君の財布と俺の財布などは、皆同じ物だ。試に云はんだ、今世界に男と云ふ者が無かつたならば、如何なる者を女と云ふやだ。同じく女が無かつたら男も無い。要するに男と女は同じ物だ。美人と云ふのは醜人があるからなのだ。醜が無かつたら美は無い。美が無かつたら勿論醜もない。美醜こゝに於て一なりだ。君の財布と、俺の財布が同一物なる事は、君も知つてるだらう。要するに、親と云ふのは、子が有るから云ふので、子が無かつたら親は無い。親が無かつたら、無論、子は無い。即、子と親とは同一物だ。此所に於て、親の物は子の物なり、と云ふ推定に到着するのだ。も少し本を読んで来給へだ」、すると大頭、怒るまい事か「馬鹿云へ、そんな黒白同一論位は、小学校の時に読んでしまつて、今では忘れてしまつたのだ。第一、そんな拡充の異つた言葉を捕へて、俺の目を眩惑させよーとした処で、支那人とは少し違つてらい。も少し本を読んで来いだ。そんな足台の暗い論はよして、俺の云ふ事でも、筆記して置くべしだ。処で、其の何だ、宇宙間の物総べて異なつて居るのは真理なのだ、で、思ふにだな、どーして斯う異つて居るだらう。同じ物が一つも無いとは、不思議の極ではないか。しかしよく考へて見ると、此処が即我が社会(全体)主義の、尤も有難き所以なので有つて、異つて居ると云ふのが、即、御互ひに相依らなければならないと云ふ所以なのだ。今社会、少なくとも本郷辺の人間の顔付が、みんな同一恰好になつてしまつたとして見ろ、其の混雑はどーだらう。鐘や太鼓で以て「我夫わいのー」「我妻わいのー」「我兄わいのー」で、探し廻らんければならぬ。さ、かう云ふ混雑のない為に、チヤンと様々な異つた顔付に作つて有ると云ふのは、どーだ、人間が社会的、相対的動物なる可き最大証拠ではないか。未だある。此総ての点に於て、異つて居ると云ふのは、畢竟ずるに、あらゆる進歩が生じて来る処であつて、異つて居る処が、平和に、静穏に行く唯一の所以で有るのだ。笑つてばかり居る人も有らう。怒つてばかり居る人もあらう。泣いてばかり居る人もあらう。しかし、かく異つて居る処で平均が取れて行く。皆人間が笑つてばかり居たり、もしくは怒つてばかり居たらどーだ。或は、弥次くつて、饒舌《しやべ》くり廻る人もあらう。黙つて寝て居る人も有らう。走つてる人もあらう。歩いてる人も有らう。かく異つて居るから、万事平均が取れて、うまく運びが取れて行くのだ。もし皆が弥次くり廻つたり、饒舌くり廻つたりして居たなら、其騒ぎはどーだらう。以上に述べた通り、人間がかく総ての点で異つて居ると云ふのが、即、人間は社会(全体)主義者ならざるべからず、相対的ならざる可からざると云ふ所以の物だ。君の如き白い頭にでも、大分これで解する処が有つただらう。即、我輩が風を引いたる所以も解つたであらう。風邪を引いた者もあり、引かぬ者もあり、即之、進歩のある所以、平和のある所以、平均のある所以、相対的なる所以なりだ」
「イヨー、中々くはしい説明だね。併し矢つ張り風は治らん様に見えるな」と、白頭がヘラズ口を叩いて居る時、カラ/\と戸を開けて帰つて来たのは、今迄留守で有つた仲間の一人だ。馬鹿に痩せた処が幽霊じみて居るので、幽霊とも、ネーベルガイスターとも云ふ名ださうな。今迄、ムキになつて居た二人は、俄に向きなほつて、「帰つたか」と云ふ。幽的は「オー」と云ひながら、成程、幽霊的な細い手を袂に入れて、掻き廻して居たが、「ソラ」と云ひながら、大頭の前に何か投げ出した。「何だ」と云ひ乍ら大頭は、つと其物を見たが、俄然、大きな顔に壊れる様な笑顔を見せて、「有難い、君ならなくてだ、浮んだよ」と云ふ。「其の大頭がか」、と白頭は笑ひながら、其或物を手に取つて見せたが、其処には、「風邪薬実効散」と書いて有つた。幽霊は得意気な顔付をし、傍に立つてスマして居る。成程、柄に無い親切な男だな、と俺も思つた。しかし此の親切も、金が有る時だけかも知れん。すると白頭は、矢張り口が悪い生れ付きかもしらんが、大頭に向つて「君、この薬は一服散と書いて有るぜ。一服丈呑まなければ治らないと見えるぜ」、と云ふと、「馬鹿な、一服丈なんて奴があるかい。一服で治らなかつた時は二服呑むんだ」と大頭は云ふ。「処が、そーで無い。見給へ、二服呑めば旧《もと》に帰ると書いて有るよ」、と白頭が真面目で云ふ。と幽霊が、「三服呑めば死ぬると書いてあるだらう」と笑ふ。すると三人が一時にドツと笑つた。俺も可笑しかつたから、だんまつて笑つた。
 支那人は、スマシタ顔をして、鏡と首引をして居る。スルト、又ガラ/\と戸を開けて残りの一人が帰つて来た。図書館に行つて居たと見えて本をかゝへて居る。これは又、馬鹿に色の黒い奴だ。室に入るや否や、「オイ何処かへ行かう、腹が減つておへぬ」と云ふ。「金は有るかい」と白頭が、嘲弄的の横目を見せる。「有る/\」と幽霊が、スマシタ顔付をして云ふ。話しは直にまとまつて、何だかワヤ/\と云ひながら、四人で部屋を出て行つた。隣の部屋の時計は九時を打つた。四人は何処へ行つたのか、支那人は不相変、夜だか、昼だか解らん様な顔をしてゐる。つい眠くなつたので、俺もツルリと寝込んでしまつた。
 と、云ふ様な様子さ、中々面白かつた。
 其のあくる日も愉快な事があつた。学校は二時半迄だと見えて、それ迄はソハ/\して居る様だ。二時半の鐘が打つてしまふと、四人がノビ/\した顔をして帰つて来た。一人は手紙を書き出した。一人はサンドーをふつて居る。一人は財布をひろげて居る。一人は窓からボンヤリ眺めて居る。スルト窓の外から、「ドーダイ」と云ひ乍ら、顔丈出した奴が居る。「どーした」と白頭が云ふと、「今日は旧同室会だから残つて居るのだ」、と云ひながら、肱立をして窓を越えて部屋に這入つて来た。しかも靴のまゝだから驚く。よく見ると、顔の黒い、汚い容子をして居る。しかも其背丈が約四尺もあらうか、「チビ」と云ふ名ださうなが、成程、浅草者だと、俺もつく/″\感心して、出来る事なら、親の顔も見てやりたかつた。併し「チビ」先生は、土足でも、すこむるすました者で、話す、笑ふ、煙草を吸ふ、勉強もしないで饒舌くつて居る。何だか、又、議論が始まつた様だ。
「君はそんな事を云ふが、ハイカラと云つても、必ずしも排斥す可き者では無い」、と白頭がチビに向つて云つた。「勿論、我々は蛮カラを以て自任して居る。大人君子、向陵の健児にして理想としてゐる物だから、蛮カラーは大いに賞す可しだ。が、併しだ、君だつて花見に行かぬ事はあるまい。月を賞せぬ事は無いだらう。今、ハイカラーを見るにだな、頭の髪をスツカリと奇麗に分けた処は、丁度、雌浪雄浪がドー/\と、寄せては返す如く。雪の様に白い、しかも高いカラー、折目のシヤンとした洋服で以て、スラリと立つた所は、第一奇麗ぢや無いか。我輩は敢て華美を云ふのではない。清潔を云ふのだ。清潔は我四綱領の一つを占めて居る。翻つて、バンカラーを見るにだ、尤も近き例は君さ、モシヤ/\と味噌玉に菌の生えた様な頭で、シヤツの鈕《ボタン》はまるで無しさ。帯は割けてゐる、袴はポロ/\さ。おまけに異様な汚臭を放つに至つては、公平な眼を以て、決して左袒《さたん》する事は出来ないよ。我輩、豈敢て形式のみを云はんやだ。成程、天真爛※[#「火+曼」、第4水準2−80−1]は好いさ。しかし、今世界の人間がすつかり、マツ裸で往来したら何と思ふ、我輩が決して疑はない真理が有る。即「美は隠すに有り」だ。早い話が、今もし僕が君に向つて、「大馬鹿め、死んでしまへ」と云つたら、仮令《たとい》、友人の情で怒らぬかもしらんが、面白くないだらう、さ、其れを心に隠して居て、何も云はない、知らん顔して居る、と云ふ処で何事も美くしう行くのではないか。美は隠すに有りだよ。なんだか矢たらに形式にばかり走ると思ふかもしらんが、そーではない。と云ふのは、此ハイカラなる者は、僕は無邪気だと思ふ。即悪気と云ふ物がない。即悪う云へば、少々御目出度い方かも知らんが、天真だと思ふ。頭を分けて、たのしんで居る処は無邪気ではないか。以て愛す可しだ。反対で、蛮カラーと云ふ奴は、表裏は天真ラシイかも知れないが、僕はどーも陰険だと思ふな。かう云ふと君は蛮カラ也、故に陰険也と来るかもしれんが、君丈は例外だ。之は証明するのは苦しいが、慥に、一筋繩では行かぬ人間だ。えらい奴も有らうが、悪党もきつと蛮カラーに有るよ。だから僕は蛮カラー親しむ可からず、ハイカラー愛す可しと云ふのだ。どうだい」、水でもほしいと云ふ顔付だが、可愛さうに、此の大議論に誰も耳をかたむける者がなかつた。
 かれこれする中に、四時になつた。すると「チビ」は「僕はもー行かう、失敬」と、又、窓から出て行つた。まるで猫だ。「ヤイ、余り呑むな」、大頭が首を出して笑つた。室の中は、今の「チビ」が穿いて来た靴の泥で、すこむる汚なくなつた。「汚いなー、どうも通学生は個人主義でいかん。自分が居らんからつて、まるでメチヤだ。通学生位、癪にさはる奴は無いよ」と、コボしてゐるのは大頭だ。しかし実を云ふと、俺の見てる中に、此の大頭先生も窓から出た事があつた。
 人間と云ふ者は、得手勝手な者だな、と、俺はつく/″\思つた。得手勝手と云ふ事は、欲目と云ふ事だ。贔負目《ひいきめ》と云ふ事だ。贔負目と云ふのは、善い事が悪う見えたり、悪い事が善く見えたりする事だ。自分がえらく思へたり、露西亜が自分で強く見えたり、月が太陽より大きく見えたり、星が笑つて居る様子に見えたり、菫が泣いてる様に思つたり、昼よりも夜が明るく見えたり、西瓜が幽霊と思へたり、汽車よりも自動車が早い様に思へたりするのも、皆、此の得手勝手から生ずるのだと思へば、得手勝手も、中々詩的な物だと、俺は一人考へて居たのであつた。
 扨、こんな様子で、俺は二三日、四番室で遊んで居たが、目に見えて感心したのは、此の四人だ。そりや中々悪口もつくし、悪戯もするが、もと/\悪気が有つてゞは無いので、其中のいゝ事は、まるで一心同体だ。起きるのも諸共、騒ぐのも諸共、甘い物を喰ふ時も諸共、寝るのも諸共、俺もつく/″\羨ましい位であつた。話しは、中々これ位な事ではない。併し、随分長話をした様であつたが、少しは君等には解つたかい」と、これで四年目の先生の話は終つたのであつた。「いやどーも大したもので」と、実は俺も内心此奴の経験の複雑なの
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