たね、何の怒る処か、但しボンヤリした、不得要領な顔付はして居たが、起されても、寂しさうな笑ひを、無理に構造して居る、何笑ひと云ふのであるか、但し、実によく馴らした物だな、と、俺も全く感心してしまつたよ。例の章魚連は、間断なく、部屋中を飛んだり跳ねたり、なに俺も止むを得んから、イツシヨに飛んだり跳ねたりしたさ。まるで天の岩屋を眼の前に見る心地。其内、大分労れて来たと見えて、一寸、静かになつて来たと思ふと、サー大変、何と思つたか、俺を握つて居た例の石臼め、窓をあけたと思ふが早いか、ヤツと、オツポリ出した。無論俺をだ。オヤと思ふ内に、クル/\と眼の球がまはる。するとボチヤン、頭をイヤと云ふ程打ち付けた、と、それきり気絶してしまつたのだ。
 フト、生気が付いて見ると、コリヤどーぢや、自分は、何時の間にやら立派な衣服を着て、人間になつて居る。眼の前を見ると、豚や、牛肉や、西洋料理は申すに不及、栗饅、煎餅、最中、に至る迄、すつかり喰ひ頃に出来てゐる。グルリと見渡すと、こゝには瓢箪形の酒の池だ。上加減と云ふので、白い煙がフワ/\と立ち上つてゐる塩梅《あんばい》。何処からともなく音楽が聞えて来る。ホワイトローズの香は、室内に充ち/\て、気も心もとろけ出してしまひさう。と、こんな事は嘘さ、それ処か、実は、何時の間にやら夜があけて居て、よく/\見ると、俺は一人で草の中に寝て居るのだ。併かも、頭の処に大怪我をして居るが、余り痛くもない。雀の子が、チユー/\と二三羽飛んで来て、珍らしさうな顔付をして、俺を見て居る。「オ早つ」と云はうとしたが、声を出す元気も無い。ボンヤリして居ると、頭の中に浮んで来るのは、昨夜の大難だ。化物が踊つてゐる処から、枕を蹴り飛ばす処、それから、石臼が俺を窓から投げ出した事。俄然、グイと、俺を引つぱり上げた者がある。又かと思つて、南無阿と云ひかけたが、フト見ると、俺を捕まへて居るのは、俺と仲の好い、小使の雑巾爺さ。ヤレ/\と胸を撫でて居ると、小使の奴は、何やらブツ/\と云ひながら歩いて行く。俺は、左の手にブラ下つて居たのだが、右の手の方を見ると、それにも俺の仲間が三ツ計りブラ下つて居る。どれも怪我をして居る様だ。妙な事も有る物だと思つてゐる内、何処だか、暗い部屋へ、イツシヨに投げこまれてしまつた。
 すると、どーだ、此処にも俺の仲間が、六ツバカリ坐つて居るではないか。しかも皆、同じ様に怪我をして居るから妙だ。「イヨー」と挨拶すると、向ふは「ヨー」と気のない返事をする。何の事やら解らない。まづ、ヤツと腰が落付いた様だから、つら/\見渡すと、天窓からさし込んで来る、ボンヤリした光線の中に、俺等の仲間が、今やつて来たのも加へて、総計十二居る様だ。そろひも揃つた仏頂顔でスマシテ居る。スルト、俺の向ふ側に坐つて居た奴が、「貴様等もトー/\来たね」と云つた。其声が、馬鹿に優しかつたので、俺も元気付いて、定めて驚くだらうと、得意になつて、昨夜の一部始終を話したのだ。併し、此奴のみならず、側に坐つて居る連中も、スマした物で、丁度、生徒の講義して居るのを、先生が聞いて居る様な顔付で、解り切つた事だ、と云はぬ計り。頗《すこぶ》る俺の癪にさはるのみならず、バツがわるいので、「君は何時此処へ来たのですか」と、少し大きな声できいてやつた。すると、「何時つて、今度で四度目さ」、どうだえらいだらうと云ふ鼻付、何がえらいのか俺には解らぬ。「フーン」と不得要領な返事をして居ると、中で「俺は三度目さ」と云つた奴がある。「俺は二度目だ」と云ふ声が続いて出た。五ツ六ツこんな事を云つた。どれも負けぬ気と見える。負けたつて、どーでもいゝではないか。二度なら遂に二度、一度なら遂に一度ではないか。要するに、二が一になれはすまいし、一度が二度になれはすまい。太陽と月と、どつちが好いと云つた処で、太陽は矢張り太陽だ、月は矢張り月だ。外の連中は、皆こんどが始めてだと見えて、だまつて居る。何となく座が白けて来る。沈んで来る。皆、怒つた様な面をして居る。俺はこのめ入る[#「め入る」に傍点]と云ふ程、気に向かん事はない。沈んで居つても一日、浮んで居つても一日、白けて居つても一日、黒けて居つても一日、乃至、怒つても一日、笑つても一日だ。沈んで白けて怒つて居るよりも、むしろ、黒けて浮んで笑つて居る方が、何ぼーいゝか解りやしない。徳利よりか瓢箪、と云ふのが俺の主義、さうさ。主義だから、早速、俺の左に坐つて居た奴を捕へて話しかけた。「君もこん度が始めだね」と、聞くと「そーだ」と云ふ。「どんな風だつたい」と、チヨツカイをかけると、すぐ拘《かか》つたね。「矢張り君の話の通りさ。だが、君とは又、変つた事もあつたよ」と来た。「なる程」と答へると「君の時は六人ださうだが、俺の時は一人だつた。しかも其奴の色の黒い事、漆を塗つて其上に油をかけて、又、其上に磨きをかけて、そして、サハラ沙漠で一年乾かした、と云ふ奴だ」「なる程な」、「時は十二時過よ。君と同じ様に、寝室に這入つて騒いだね。しかもこの沙漠先生、頗る付の話し好きと見えて、ドツカと坐りこんだなり、いや話すは/\。笑つて見たり、怒つて見たりの一人舞台だ。此間約一時間。なに俺は、側で昵《ぢつ》と居眠の練習さ。スルト沙漠先生、ヒヨロ/\と立つて、ガラス窓をあけたと思ひ給へ。丁度、昨夜は十五日だ、満月さ。虫は鳴かなかつたが、皎々たる盆大の明光、中天に懸つて水の滴りさうな奴。長天繊影なく、大他閑寂たり、清爽寥然として向陵一夜秋懐深してんだ。起きて居るのは、例の沙漠先生と、憧々《どうどう》たる俺ばかりさ。突如、ザーと飛瀑の音を聞き得たり。何と思ふつて、小便の音さ。しかしそー笑ふ勿れだ。此の時程俺は、美くしう感じた事は無かつたよ。全く美化されたね、俺も沙漠先生も、殊に小便がだ。小便をするは須《すべから》く此時に於てす可しだ。名月、沙漠男、慥に俳句にはなるよ。美と云ふ奴は妙なもので、とんでもない物が、非常な美と変化する事がある。尤も、裸体が美の真髄だなど云ふ、此頃ださうだからね。悪に強きものは、善にも強しと云ふと、えらく寺の和尚の説法めいては居るが、全くだ。要するに、非常な極端と極端とは、又、尤も近い物で有つて、其間の差は、到底、認める事が出来ん。咲き揃つた万朶の花と、それから、散つてしまつた花とは、一は繁栄の極で、一は凋落の極だが、其咲いてそして散る時の美、考へて見ると、分秒の間髪を入れない処に有る刹那だね。知つてるかもしらんが、「見渡せば桜の中の賭博哉」と云ふ句が有るが、此時の賭博は、ずんと美しいではないか。此の間髪を入れずと云ふ処が面白い。ヤツと云ふ間に頸が落ちる、と云ふ処が面白い。頸の有る人間と、頸の無い人間と、それが、たんだ、ヤツと云ふ間に定まると云ふ、イヤ面白いぞ/\。
 扨、其続きだが、小便の音もぢきに遏《や》んでしまつた。と思ふ内、沙漠先生、何と思つたか俺を捕へた。と、それから後は君と同じ。グル/\のボチヤンさ」「オヤ/\そーかい」、中々小むづかしい事を云ふ奴だな、と思つて居ると、向うの方に居た奴が、「そーあんまり驚かない様にしろ、これからそんな事は毎夜だよ」此の赤毛布奴《あかげつとめ》、と云ふ顔付。古毛布め、何をぬかすと思つたが、此奴、一番眠気覚しにしてやらうと思つたから、「そーかね、君等は随分古顔だから、中々面白い事が有つたでせうね」と云ふと、遂々やり出した。「そりや有るさ。君等に話した処で、到底、まだ解らんだらうが、未だ、これから、生末の長い君等だから、随分、後学の為にもなるであらう、忘れない様に、聞いて置いたらよからうさ。俺は、此処に来てから四年になるのだ。始めて来た時は、東寮と云ふ処に居たのだ。君等は未だ見ないかも知れんが、此寮なぞよりはズツト高い三階だ。三階は三階でも、(三界に身の置き処なし三世相)と云ふ奴で、監獄と思へば余り間違ひはないよ。大きい丈に、生徒の数も二百計りは居る様だ。数が多いだけに又、変つた事も大有りだ。さうさね、随分話しになりさうな事はあるが、ヲーさうだ、君等は未だ、人間の死ぬる、勿論、自殺する処を見た事はあるまい。――なに五六遍見たつて。それはえらい。なんだ例の鐘や太鼓の調子でやるのだらうて、何の事だいそれは。芝居でだつて、馬鹿にするない、そんなケチ臭いのではないよ、赤毛布を被つてソロ/\匍ひ込む、そんなではないのだ。さすがは、高陵の健男子とか云ふ丈に、立派な物だつたよ。あゝ、今思ひ出しても、気の毒でならんわい。丁度、今から一年前だ。秋風蕭殺の気が、天地に籠つて、涼しい/\が、寒い/\にならうと云ふ時、死にそくなつた狂蝶が、まつ白な桜の返り花に、冷たい残骸を乗せて居ようと云ふ頃、一夜、矢張り十一時過ぎ、俺は三階の窓の上で、暫く無我の体《てい》だつた。ツイと、何気なく下を見ると、窓に立つてゐる人がある。青白い月光に、片頬丈ゲツソリとこけたのが、透き通る様に見える。しかも、眼にキラ/\と輝く物は、露か涙か、初めには君等の知つてる、例の化物連中かとも思つたが、容子がどーも変だ、一口も物を云はないで、立つてる事半時計り。俄然、ヒラリと動いたと思ふが早いか、窓から、大地に向けてツルリ、真つ逆様、ドタリと音が聞えたきり、向陵は、又も寂寞に帰つてしまつた。勿論、自殺さ。此時の俺は、人間では無いが恐ろしかつたね。どーして死ぬ気になつたであらう。さつきから、開いたまゝの窓の処を見てゐると、ボヤツと見えるのは、今のゲツソリ頬のこけた人の顔だしかも半面鮮血淋漓、ゾツとして眼をしばたゝくと、窓は矢つ張りあいたまゝで、斜に、月の光が画の様。三階から飛び降りて死ぬる、何としたはかない運命であつたらう。三階が人を殺す道具にならうとは、蓋し、何人も始めから思ひ付く人はあるまい。三階とて人間の棲む処だ。それが、人を殺す処となる。俺は、いろんな事を考へて見た。刃、剣、鉄砲、毒薬、病、これ等は、吾々が人を殺し得る物と、普通に知つて居る物だが、人を殺すものは、どーして、それ処では無い。手拭でも殺せる、棒でも殺せる、足でも殺せる、瀑に落ちても死ぬる、噴火口に這入つても死ぬる、戦争でも死ぬる、乃至、三階でも死ぬるではないか。地球上、至る処は死に道具で満ちて居る様に思はれる。吾々は、如何なる処でも、何を以てでも、どう云ふ方法でも、直ちに死ぬる事が出来る。吾々が呼吸してゐる、空気を吸ふのは生きる所以で、吐き出すのは死ぬる所以か、乃至、吐くので生きてる、吸ふので死ぬるのか。どつちに転んでも、すぐ死ぬるのだ。吸うたり、吐いたり、其処で吾人は生きて居るではないか。吾々は、死なうと思へば、何時でも死に得る。それを、危い呼吸で生きて居るのではないか。死ぬると云ふ事は、何だか、この呼吸の面白さを解して居ない様に見える。しかし、俺の考が間違つてゐるのかも知れない。想像は想像を生み出して、止む時がない。死ぬる事ばかりでは無く、総ての事柄は、此の呼吸でやつて行く様だ。ヤツと云ふ間に、舞台は、クラリ/\と変つて行く。過去六十年の歴史は、此のヤツと云ふ呼吸から出て来た火花だ。両国で花火を見る時、パンと音がして、サツと幾百条の赤い光線が出る。光線は即人間の歴史で、美くしい面白いが、其パンと云ふ音の方が、俺には面白う思はれる。宇宙は、総てこの「パン」「サツ」で以て出来てゐる。「パン」を知つたら、「サツ」は解る。「サツ」を見ても、「パン」は中々解らない。此の頃は、眼で殺される人間も有ると云ふが、此の「パン」「サツ」を知らないからだと思ふ。
 自殺から、とんだ話になつたが、まだ/\面白い事が有るよ。君等は未だ日が浅いから、此処に居る生徒の気質なども、よく解らんだらうが、中々、面白い処があるよ。俺はさい/\例の化物連の御かげで、と云ふのは、化物は俺を忘れて行つてくれたからで、自修室に、二三日も遊んで居た事があるが、いや中々の面白さ。君が居る北寮の、四番室と云ふ処に居つた時も、随分愉快だつたよ。あすこには、慥かに五人居たと思つたが、今でもそーか知らん、支那人も一人居つた様だ。人数は少
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