出来ない。如何となればだ。追々むつかしくなるよ。如何となれば、前にも云つた通り、自治とは、無規則なりだから、人間の社会に於て、規則も何もなくなる。換言すれば、全くの平和的社会、理想的社会、トルストイが云ふ様な、無規則な社会と云ふものが、眼の前に現はれる時があるだらうかと云ふに、之は決して無いのだ。人間が二人以上、生存して居る間には、決してかゝる社会は出て来ない。即、真正の自治と云ふものは、人間消滅後に於て、実現し得可きものであるのだ。処で、其次が半自治と云ふ奴だ。吾々の自治寮は、即ちこの半自治の状態に有るのだ。半自治とは、換言すれば、規則が有つたり無かつたりと云ふ状態なのだ。我が自治寮の自治と云ふ奴は、今云ふ様な朦朧体である。ボンヤリした物である、以て行はれ易き所以なりだ。併し、此のボンヤリ体、行燈体と云ふのは、尤も面白い奴で、自治はどうしても、此の行燈体でやらなくては成功しない。馬鹿に大きな火をおこすと餅が焦げてしまふ。ヌル/\と焼く処で甘く出来るのだ。あつちに寄つたり、こつちに寄つたりで、舟は航海が出来る。天気になつたり、雨が降つたり、照つたり降つたり、降つたり照つたり、ボンヤリした処で、甘く調子が取れて行く。此所に尤も味が有る処で、此処を一つ考へなければならないのだ。甚だ、君等には要領を得にくいかも知らんが、大賢は市で騒ぐと云ふ事もある。瓢箪の様な、ノラクラした中に、チヤンと腹のククリが有る。あの、括りがえらい処なのだ。動中の静、静中の動だか、よくは知らないが、人の顔立でもさうだ。目付が勝れていゝとか、耳がすぐれてよいとか、鼻がスラリとして居るとか、さう云ふ事は無いけれど、ボンヤリした顔全体その物に於て、立派な顔とか、美くしい顔とか、認める事が出来る。我自治は、半自治なりさ。此に於て、消したり、消さなんだり、門衛の頭を殴つたり、殴らなんだりと云ふ、面白いだらう。ヤイドーダ」と、矢鱈に舌なめずりして居る。云ふ中に又、ドヤ/\と這入つて来た四五人の生徒に取まかれて、酔つた人も、酔はない人も、遠くの方に行つて仕舞つた。こんな事は、毎晩の様にあるよ。えらい饒舌つて、少々くたびれた様だが、誰か又、話しをする奴はないかな」とこれで第二の先生の話しも終つたのであつた。
 が、皆思ひ合した様に黙つて居て、何とも云ふ奴はない。こんな話しを聞いたり、聞かされたりして居て、此の暗い部屋の中に、二週間位も居たであらう。すると或日、小使がやつて来て、皆を連れて、怪我を治しに連れて行つてくれた。二三日もして、怪我も全快したので、又、寮へ帰つて、職務につく事になつた。
 思ひ起せば、この事があつたのは丁度三年前、それから、二度冬を越して、又、二度春を向へたが、其間、或は、東寮に居つた事もあるし、南寮に居た事もある。小使部屋にも居つた。怪我も五六度やつた。が、まだ、人の死ぬる処は見た事がない。尤も、妙に思ふのは、俺が来た時に、一番胆をつぶした、ストームが、其後、何十回となくやつた性か、今では至極、愉快になつて来て、三日に一度位無いと、何となく物足らない気がする。従つて、生徒の中には、随分、昵懇な連中が出来た。尤も仲のいゝのは化物、狼、ニグロ、辨慶、幽霊、章魚なぞだらう。云ふ内、今夜でも、此の連中が来て、連れて行つてくれはしないだらうかと、心待ちに待つて居るのである。これで今日迄の「俺の記」は終りとする。
 最後に、俺の名前も、既に解つたで有らうが、念の為に、人間が俺に付けてくれた名はランタンと云ふのだ、と云つて、そして筆を擱かう。 (終)
[#地から1字上げ]三十八年二月十九日



底本:「尾崎放哉全集 増補改訂版」彌生書房
   1972(昭和47)年6月10日初版発行
   1980(昭和55)年6月10日増補改訂版発行
   1988(昭和63)年10月20日増補改訂二版発行
※底本編集時に編集部の入れた注記(誤植が疑われる語句の正しい形、または編集部の追加したルビ)は除きました。注記のあった箇所は以下の通りです(底本ページ数―行数 該当語句)。
○P171―L1 「盗棒」全体
○P171―L3 「悪好者」の「好」
○P176―L11 「黒けて」の「黒」のルビ
○P178―L10 「生末」のルビ
○P197―L9 「性か」の「性」のルビ
入力:門田裕志
校正:高柳典子
2006年1月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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