て居る処が、平和に、静穏に行く唯一の所以で有るのだ。笑つてばかり居る人も有らう。怒つてばかり居る人もあらう。泣いてばかり居る人もあらう。しかし、かく異つて居る処で平均が取れて行く。皆人間が笑つてばかり居たり、もしくは怒つてばかり居たらどーだ。或は、弥次くつて、饒舌《しやべ》くり廻る人もあらう。黙つて寝て居る人も有らう。走つてる人もあらう。歩いてる人も有らう。かく異つて居るから、万事平均が取れて、うまく運びが取れて行くのだ。もし皆が弥次くり廻つたり、饒舌くり廻つたりして居たなら、其騒ぎはどーだらう。以上に述べた通り、人間がかく総ての点で異つて居ると云ふのが、即、人間は社会(全体)主義者ならざるべからず、相対的ならざる可からざると云ふ所以の物だ。君の如き白い頭にでも、大分これで解する処が有つただらう。即、我輩が風を引いたる所以も解つたであらう。風邪を引いた者もあり、引かぬ者もあり、即之、進歩のある所以、平和のある所以、平均のある所以、相対的なる所以なりだ」
「イヨー、中々くはしい説明だね。併し矢つ張り風は治らん様に見えるな」と、白頭がヘラズ口を叩いて居る時、カラ/\と戸を開けて帰つて来たの
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