んな黒白同一論位は、小学校の時に読んでしまつて、今では忘れてしまつたのだ。第一、そんな拡充の異つた言葉を捕へて、俺の目を眩惑させよーとした処で、支那人とは少し違つてらい。も少し本を読んで来いだ。そんな足台の暗い論はよして、俺の云ふ事でも、筆記して置くべしだ。処で、其の何だ、宇宙間の物総べて異なつて居るのは真理なのだ、で、思ふにだな、どーして斯う異つて居るだらう。同じ物が一つも無いとは、不思議の極ではないか。しかしよく考へて見ると、此処が即我が社会(全体)主義の、尤も有難き所以なので有つて、異つて居ると云ふのが、即、御互ひに相依らなければならないと云ふ所以なのだ。今社会、少なくとも本郷辺の人間の顔付が、みんな同一恰好になつてしまつたとして見ろ、其の混雑はどーだらう。鐘や太鼓で以て「我夫わいのー」「我妻わいのー」「我兄わいのー」で、探し廻らんければならぬ。さ、かう云ふ混雑のない為に、チヤンと様々な異つた顔付に作つて有ると云ふのは、どーだ、人間が社会的、相対的動物なる可き最大証拠ではないか。未だある。此総ての点に於て、異つて居ると云ふのは、畢竟ずるに、あらゆる進歩が生じて来る処であつて、異つ
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