としたはかない運命であつたらう。三階が人を殺す道具にならうとは、蓋し、何人も始めから思ひ付く人はあるまい。三階とて人間の棲む処だ。それが、人を殺す処となる。俺は、いろんな事を考へて見た。刃、剣、鉄砲、毒薬、病、これ等は、吾々が人を殺し得る物と、普通に知つて居る物だが、人を殺すものは、どーして、それ処では無い。手拭でも殺せる、棒でも殺せる、足でも殺せる、瀑に落ちても死ぬる、噴火口に這入つても死ぬる、戦争でも死ぬる、乃至、三階でも死ぬるではないか。地球上、至る処は死に道具で満ちて居る様に思はれる。吾々は、如何なる処でも、何を以てでも、どう云ふ方法でも、直ちに死ぬる事が出来る。吾々が呼吸してゐる、空気を吸ふのは生きる所以で、吐き出すのは死ぬる所以か、乃至、吐くので生きてる、吸ふので死ぬるのか。どつちに転んでも、すぐ死ぬるのだ。吸うたり、吐いたり、其処で吾人は生きて居るではないか。吾々は、死なうと思へば、何時でも死に得る。それを、危い呼吸で生きて居るのではないか。死ぬると云ふ事は、何だか、この呼吸の面白さを解して居ない様に見える。しかし、俺の考が間違つてゐるのかも知れない。想像は想像を生み出し
前へ 次へ
全44ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 放哉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング