容易《たやす》く云ふを得ない。近くばストームを見よ、などと、我輩を攻撃するかも知れないが、我輩は尚、君等の説に、賛成する事は出来ない。酒を呑まぬ人間とは、即酒を呑んでも呑めない、遂に酒の味を解する事が出来ない人間であるから、こんな人間は、酒に付て、かれこれ云ふ資格の無い者である。盲目は遂に向島の桜を語る可からずだ。一寸、云つて置きたいのは、酒を呑むと云ふ事と、大酒をすると云ふ事を混用してもらつては困るよ。過度と云ふ事は、総てに於ていかん。豈独酒のみならんやだ。それから、君等が云ふ酒が身体等に及ぼす害だ。此の害と云ふ奴も、随分六かしい説明を要する事だらうと思ふが、少なくとも、僕の知つてる処では、酒(大酒ぢやないよ)は、決して吾々の身体に、害を及ぼさないと確信して居る。医師が云ふ事などは勿論、吾々の眼中に無い。と云つて、頑冥インノセントブライド野蛮人、ガリ/\亡者と思つては困る。要するに、医師と云ふ者は、出来る丈命を延ばしたいと云ふ処を目的として、割出すによつて、少しでも身体に、害になりさうな奴は、ドシ/\、否定してしまふのだ。しかし吾々人間が、如何なる状態に於てもかまはず、匍つて居ても、寝て居ても、出来る丈、長命をすると云ふを以て、最終目的とす可きであらうかどうかと云ふ事は、中々むつかしい問題だ。僕に云はせればだ、春雨に叩かれながら、猶、枝にクツ付いて、まつ青に恨めしさうな梅の花よりも、寧ろ一夕の狂風に、満枝をアツサリと辞して去る桜花をこのむのである。現に医師の身知らずを実見するに至つては、御本人も、桜花をこのむと見える。短かい小便を垂れて、小さい糞をして、百迄生き延びた処で何になる。大飯を喰つて、大糞をたれて、定命五十年で、アツサリとやりたいではないか。かうなつて来ると、物の利害と云ふのは、君等の云ふ利害とは、少しく性質を異にして、来はしないかと思ふ。僕の云ふ処は、或は間違つて居るかも知れないが、僕は自ら好む処に随つて行くのみだ。糸瓜となつてブラ下らんよりは、西瓜となつて喰はれたいと云ふ奴だ。余けいな事だが、我輩が、屡※[#二の字点、1−2−22]、禁酒会員とか、禁酒会とか云ふ事を耳にする、この位可笑しい物はないと思ふ。酒屋連中と喧嘩する考へかも知れないが、甚以て意を得ない。早い話がだ、我々が、生徒会と云ふ物を作つて学校に行くとして見る、こんな馬鹿な事が有らうか。学
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