キ路の想ひの国である。
そこに、香水撰択の至難がある。譬へていへば、その表情のハイフエツツの優婉に似通ひしもの、エルマンの甘さに似通ひしもの、ヂンバリストの寂びに似通ひしもの又は、イサドラダンカンの舞踊に、あの華やかなりし頃のニヂンスキーの「牧神の午後」の怪奇さに相通ずるものなど、吾々近代人の香水の選び方は様々の聯想を強ひられる。
◇
若し、日本音楽を愛し、歌舞伎劇を愛し、紫の色を愛《め》で、白緑の色を好み、紺蛇《こんじや》の目を好き而も、近代ジヤズに魅力を感ずる女性あらば、如何なる香水がふさはしいか。マリー・ローランサンの画のやうな香水が好《い》いだらう。あのおぼろげな、眼のない、五月の空気のやうな感情を持てる女の、動物との遊戯の雰囲気。この雰囲気こそ、うつてつけのものだらう。
リラ・ブランの甘さをキイノートとし、これにバイオレツト・リーブスのやうな快い野性味を極少量伴奏させ、更にジヤスマンの古典風景で包んだとしたら如何であらう、この女性に似合はしくはないか。
◇
時代の刺戟が、吾々をとりまくことの激しさにつれて、吾々の神経系統は著しく敏感になつてきて
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