、多摩川、相模川なぞの流れに沿うて、軽々と気まぐれな歩き方をしてゐる。この方は、まだしも健康なので、もう一つの場合は、大隠《たいいん》は市にかくれるなぞとの誰かの口真似をして、盛り場から盛り場へさまよつた後に、木賃宿町の一隅なぞに、自分を見出すのだ。それらの渡り歩きの是非はさておいて、さう云ふことに生活圏内からいよいよ離れて、無為に魂をすりつぶしてゐるのは、何としても、下らない唾棄すべきわざだ。殊に、その浪々の道すぢを自分に言訳するために、後日の零落《れいらく》に備へての足ならし、身鍛へだなぞと、感傷的に思ひ込んでゐることに於てをや、と云ふべきであらう。
 だが、今一言、……それにも拘らず、私には仕方のない事実なのだ。

 ある年の暮れ、……いや、昨年の十二月の末にも、私はかうした発作に似た心境に落ち込んだことがある。それまでは大晦日《おほみそか》に到る日数を精確に計算して考慮に入れた上、仕事の分量を定め営々として働いてゐた。私は沢山の家族に楽しい正月をさせてやらねばならなかつた。私は、多人数を背負《しよ》つて歩くのが好きであつた。そんなものなしにすませられるなら、それに越したことはないのだが、どうせ逃れられない運命とすれば、おぶさつて来るものをいくらでも引受けようと決心してゐる方が、悲壮でもあり、その満足感からはげみがついた。
 仕事の出は、うまく滑り出したので、非常に悦んでゐた。と、中途から、調子が狂つて、意《おも》ひに委せなくなり、次第に私は渋りはじめた。さうなつては、つづけてゐるのに苦痛だけが残つて、大袈裟な絶望感さへ伴つて来る。永々と面白くもない時を費して、最後にやつと形をなすのは、気に入らないなぞと云う単純な失敗の不快さに終らない。歪《いび》つな仕事の結果は、私の全身心ともに醜くひん曲げて了ふ。私は、自分自身の比重がとれずによろめいて、それを情なく意識するので、よけい足許が危つかしくなるのだ。胸の中では、無数の瓦礫《ぐわれき》がつまつたやうに、索寞として音を立てて、あちらへ傾いたりこちらへ転がつたりする。次の仕事にかかるには、あまりすべてが雑然としすぎてゐる。
 仕事に対して、私は当然の報酬を受取るのだが、かうした状態では、何か不正を行つて得た悪銭の感じがする。反対にまた、この苦悩の償《つぐな》ひとして払はれるには、安すぎるとの腹立しさもないでもない。い
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