り、飯を食ひに行かうと云つたり、家まで送り届けてくれたり、もつと露骨な下素《げす》な手段で誘惑を試みたりする事実を知つてゐるのは、あまり気持のいいものではない。だが、誰でもが云ふやうに、それも退屈な夫婦生活に於ける刺戟として利用出来るのだ。時たま自分がその店に現れて、彼女が色んな男たちに騒がれてうまく捌《さば》いてゐるさまを眼にしてゐると、ちよつと舌を出したい心持にもなる。唯、岸田と云ふ、これは強敵だと思ふ男が現れたのは何とも不愉快だ。ひよつとすると、彼女は惹《ひ》かれてゐるんぢやないか。疑へば疑へる。その他の男のことは笑ひばなしとなつて、寝物語に供せられるのだが、そして、岸田もはじめはさうだつた。あいつはかつ子が軽微の眇眼《すがめ》なのを誤解して自分に秋波を送つてゐるのだと有頂天になつた莫迦《ばか》野郎だが、いつの間にか彼女は岸田のき[#「き」に傍点]も云はなくなつた。それでゐて、自分が茶房なるものへ行くと、あいつはきつとゐる、かつ子もべたりとそこにくつついてゐる、すでに一定の関係ある者同mが諒解しあふ沈黙をつづけたり、不要なお世辞笑ひを抜きにぽつりぽつりと小声で話してゐたりしてゐる
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