も追及の手が延ばされるとすれば自分なぞは一体どうなるのであらう。自分なぞはと云ふことはない。自分は何者でもないぢやないか。自分はつひぞそんな思想に。嘘だ。勇気がなくてついては行けなかつたが、軽微ながらも共感を感じたことがあつたらう。栗原に金銭を提供した事実は、彼の自供によつて警察ではちやんと知つてゐるぞ。当時はそんな事件が多く煩瑣《はんさ》にたへかねて、召喚しただけで問題にしなかつたが、その証拠はちやんと栗原の調書や自分の提出した始末書に残つてゐるぞ。しらみつぶしにする場合に、何十年保存と記されたその書類を調べさへすれば、自分の影は浮き出て来て、容易に指摘されるのだぞ。さうなれば、生かすも殺すも自由にされる。
熱にうかされた不自然な自分の頭脳は、思考のラビリンスの中をさまよつて、くたくたに疲れて了つた。おびえて眼をさませば、汽車は琵琶湖の端をめぐつてゐるのだ。京都駅へ下りると、しゆんと筋肉の凍り縮まるやうな冷さであつた。これが、病的な自分を人心持《ひとごこち》にさせてくれた。
自動車の運転手が御見物ですかと、誘ひに来た。御見物はよかつた、と自分は気に入つて、さうだ、と答へた。ミルク
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