反感を持つた。自分を帰して置いて、岸田と遊びに行くのだらうと、またしても疑つた。酸《す》つぱい顔して、自分はうんと云つた。
 表へ出た。ポケットに幾ばくかの給料があつた。自分は放蕩してやらう、横浜へ行つて遊んで来る、と呟いた。それでゐて、ちよつとの寒風に鼻孔は苦しく、くんくんと云つてゐるのだ。
 新橋の吹きつさらしのフォームで横須賀行を待つてゐた。とそこへ下関行急行が来たのだ。自分はとつさに乗込んで了つた。旅行者のやうな面持で、何故だか知らぬ。きのふのけふで汽車の煤煙の臭ひと動揺がまだ身体や洋服についてゐたのが、習慣的に誘惑したとも云へよう。自分は検札に来た背の高い車掌に、京都と云つてゐた。これも何故だか分らない。
 日独防共協定のことなぞが、すべての乗客がだらしなく、口をあけ、むんむんとスチームにむされ脂汗を浮べて眠り込むと、思ひにのぼつて来た。対外政策であるあれは、国内的にも大きな意味を持つて来るのだらうか。ながい暗いトンネルを汽車は走つて、自分も栗原のやうに神経衰弱になつた顔の皺が、深くどす黒くガラス窓にうつつてゐる。実行や口外は以ての外、肚《はら》の中で思想の片鱗さへ抱いてゐて
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