て、九時に東京駅についたのです。話はこれからです。自分は家へ帰つてもつまらないと疲労を酒で医《いや》して、十時には自由になるかつ子を迎へて一しよに戻るつもりだつたのです。
 何とか茶房の前へ行くと、寒さにめげて人通りの少ない銀座の鋪道に岸田の奴さん、ステッキで靴先を叩きながら誰かを待つてゐるのだ。誰かをぢやなく、かつ子を待つてゐること位は、つんと胸に来た。野郎と思つたが、忍んでうかがふとやはりさうなのだ。では、自分が留守にしてゐた一週間もこの調子だつたんだな、と逆上するほど邪推がこみあげて来た。それでゐて、飛出して行く勇気がない。寧《むし》ろ彼らの眼をはばかるやうにこそこそと逃出したから、自分は不甲斐《ふがひ》ない人間だ。散々そこいらを飲んですつかり更けて家の戸を叩いた。
「――岸田とどこへ行つてゐた」
「――あの人が表で待つてゐて、踊りに行かうとすすめられたんだけど、断つてさつさと帰つて来た」
「――嘘をつけ、この売女《ばいた》」
「――嘘ぢやない、母さんに聞いでごらんなさい」
 すつたもんだあつて寝たが、疲れてゐるのに霜に打れて歩いたので、風邪をひいて朝は頭があがらぬほど重かつた。
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