た、そのうしろを、狭いので身体を横にして抜けようとした時、豊太郎はとつさに振向いて、おしげを抱いた、本能的にすくんだ彼女をしめつけて、四日の晩、初酉《はつとり》に連れてつてやるよ、店をしまつたら、花屋敷の側で待つてな、と囁《ささや》くのであつた。
 彼女は店に出て、テーブルにからぶきんをかけてゐたが、豊太郎の腕がいつまでも胸を圧さへてゐるやうで、その温《ぬくも》りさへ着物についてゐるのではないかと、自分の手をあてて見たりした、――やはり一途《いちづ》に悦ばしかつたのだ、しかし旦那がああ云つたけど、一しよに行つていいものかどうか、話をして見たくもあり、もう綺麗|薩張《さつぱ》り忘れて了ひたくもあつた。
 彼女の横で、ぶくぶくに肥えたおふぢが、
「しげちやんたちはいいわ、――お酒のみの相手をしてられて陽気で、ああ、私もお店に出たい」と、独り言を云つてゐた、彼女は容貌が醜いので、板場の手伝ひをさせられてゐて、それが不平で仕方がなかつたのだ。
「え」と、おしげは考へを破られて聞きとがめた。

     ○

 おきよが目撃したと云ふのはこの朝のことなのだらう。
 彼女はおしげを煽《おだ》てて、
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