頃客たちとふざけて、際どい冗談も平気で云つてゐたが、こんな風に二人だけゐて、真面目に手を取らんばかりにされた経験はなかつた、どうしていいのか迷つて了ひ、があんと耳鳴りするのに、心はうろうろするばかりであつた。
「一生云はないつもりでゐた、――ところが、今夜、福ずしのことを知つて了つたんだ、さうなると、私もおとなしく引込んでゐるわけにはいかない、私は福ずしとは昔から含みあつた仲だ、私にも意地があると云ふものだ」
 おしげはうなだれて、唯わくわくとしてゐたが、意地と云ふ言葉にその胸をつかれた、ほろにがいものが走つた。
「――私の気持を――」と、尚も豊太郎はやさしく云つてゐた、おしげは、どうでもなれ、と新吉たちの姿を眼の底に焼きつけながら、彼のなすままに委《まか》せた、女蕩《をんなたら》しの旦那に誘惑されるのもお前たちの罪だぞと一生懸命に罵りつづけて、堕落してやるぞ、堕落してやるぞと思つた。
 おしげは旦那を別に好いてはゐなかつた、どちらかと云えば、生白くにやけて、毛髪の薄く眉目《びもく》なぞも、はつきりしないやさ男ぶりは、気に入らなかつた、お神さんや、他の女たちにべたべたするのも、男らしく
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