事なんだからと、駄々児のやうに呶鳴《どな》りたくなつた。
「さう、新吉さんのためなら、私はどうなつてもいいのね」
「そんな、――お前」
「知らないわよ、――私のお給金の前借りばかりしやがつて」
そこまで云ふと、おしげは感情がこみあげて、咽喉がつまつたが、辛うじて泣かなかつた。
「――義理でも、お父つあんぢやないか、そんなひどい口をきくもんぢやないよ」
おはまはまだ三十七であつた、――おしげの実父と死別れてから、色んな男とついたり離れたりして来た、篠原新吉と云ふ公園で何をしてゐるか誰も知らない男と一しよになつたのは、去年の夏すぎで、彼女よりも年下であつた、別に形相《ぎやうさう》は恐しくはないが、油断のならない眼を冷く据ゑて、グリグリに青く頭を刈りつめ、ずんぐりと脊は低くかつた、全体にうす気味が悪いと云ふのが当つてゐた。
「何がお父つあんなのさ、義理なんかありやしない、あんな働きのないやつ」
おはまも、土手の蹴とばし屋の女中をしてゐた、母親と娘と二人で男を養つてゐるわけであつた。
それから、彼女はおしげにくどくどと訴へはじめた、――福ずしの旦那に、新吉さんがかたく約束したのだ、旦那
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