に、椅子をつたつてよぢのぼつてゐるのを眺めながらフロラの母親が、卓子を叩きながら、
「ヘンリー!」
と学生の異名を呼んだ。
「フロラが、未だ起き出て来ないのだつたら、遠慮なしに彼女の部屋の扉《ドア》を叩いてお呉れ、ブラツク・キングの夢にでも呪はれてゐるに違ひないのだから……」
フロラは、彼よりも先に起きてゐたにも関はらず未だ一度も階下へ降りなかつたと見える。
三
その晩は、学生の部屋で二人は新しいテキストを囲んで日本語の練習をした。グリツプは籠の中で眠つてゐた。
「アイウエオ・カキクケコ――五つの母音を第一行として、凡てゞ四十八文字が吾等の言葉の、アルフアベツトである。」
などと彼は説明した。物語がない為に以外な興味が涌かずに、規定の一時間で終了にして、
「お寝《やす》み、君の健やかな眠りを希望する。」
「お寝み、グリツプの声で――あなたが輝やかしい朝を迎へるであらうことを祈るよ。」
こんなことを云ひ合つて別れた。
それから彼は、自分の読書に耽つたり、ブラツク・キングのテキストで発音法を練習したり、体操を試みたり、また書棚の整理などをして事更に夜を更して、グリ
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