た瞬間には、安心して照子の美しさを想つた。――そのうちに彼は、指先の速度をそれに伴れて心の変る暇のない程だんだんに速めて行つた。非常に素速く反転させた。彼の心も同じやうに速く反転して、そして無心になつた。彼は、たゞ面白がつてランプのシンを弄んだ。
(しまつた!)と彼が気附いた時、シンは油壺の中へ落ちてゐた。
暗闇だけが残つた。困つたことか、困らぬことか? 彼は心にそんな区別をつけることを忘れた。そして深い溜息をした。――虚無、安心、悦び、涙――そんなやうなものが白い絹に包まれたまゝ胸の中へ一時に流れ込んで来る感じがした。
彼は、落第した。
照子はその翌年結婚した。彼は、照子の結婚が少しも自分の心に反応のない気がした。
「やつぱり恋といふ程のものぢやなかつたんだ。ほんの気紛れだつたんだ。」彼は、斯う自分の心に呟かせたが、少しギゴチない気がした。で彼は、自分に「悲しき勇士」といふ冠を与へて、楯と剣を持せて丘の上に立たせて眺めてみた。
また試験の夜が回《めぐ》つて来た。一昨年と同じ部屋で、彼は机に向つてゐた。照子は居なかつたが、やはり彼の心は本に集注しなかつた。「さうだ、俺は試験その
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