悔した。
「明るくつて眠れない、灯りを消せ。」
 結婚して始めて彼が怒気を含んだ音声を発したので、妻は吃驚《びつくり》して(どうして夫がそんなに怒つたのか解らなかつたが。)おとなしく立ちあがつて灯りを消した。
 その様子が可愛かつたので、彼は妻の手を握つた。妻は又泣いた。
 その時彼は不意と、今迄全然忘れてゐた照子のことを思ひ出した。「嘘ぢやない。」と妻に弁解しながら、嘘でないその言葉から過去を寂しく思つてゐた矢先に、ふと照子の顔を思ひ出したら、
「やつぱり俺は、妻に嘘をついてゐるのかな。」といふ気がして、軽い会心の笑が浮んだ。同時に堪らない寂しさが湧きあがつた。
「何故俺はそれ(?)以上の愛を持つことが出来ないのだらう。」斯んなことを思ふと、彼は滅入りさうな気になつて、
「やつぱり眠られない。もう一度灯りを点けておくれ。」と云ふには云つたが、妻と一緒に、暗い部屋の中で、その儘身動きもしたくなかつたので、堅く妻の手をおさへた儘灯りを点けさせなかつた。(完)

 純吉は、読み終ると同時に思はず亀の子のやうに首を縮めた。(チエツ! 厭な奴だなア。)彼は、ニキビのある青年が東京の下宿の一室で
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