た。
 私は吐息ばかりを衝きながら、眠さが襲ひ次第に飛び立たうとして、盃を傾ける毎に、今度は、凝つと眼をつむつて見るのだが、更に眠気も酔も襲はず、注ぎ込んでゆく苦い酒の流れが胸先を白々しく迂回するかのやうであつた。
「何といふことだ……」
 私はそつとつぶやいて、両掌を拡げて胸の上を撫でたり、重々しく腕を組んで首垂れたりするばかりであつた。
「……何だと、もう一辺云つて見やがれ!」
 突然、そんな啖呵が私の耳の傍らに鳴り渡つた。聞くも爽々しい巻舌の江戸弁だつた。
 見ると、隣りの中年者が、食卓に突いた片肘をそびやかせて、軍鶏のやうな眼光をもつて向方側の二人伴れを瞶めてゐた。一陣の寒風が颯つと吹き抜けた概で、あたりは水底のやうに静まり返つた。
「――見損ふない、馬鹿野郎!」
 彼はつゞけて突き飛すやうな言葉を挑んだが、相手は蝉のやうにぱつたりと鳴き止んだまゝ一言の返答もなかつた。――まことに胸のすく見事な調子だ! と私は感心したがそれが若し自分の敵から投げられる科白だつたらと想ふと、聞くだに五体が竦む怕ろしさだつた。その彼の言葉の調子は、刃の鋭どさを閃めかせて、間断もなく敵の胸先を突きと
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