弁当などにしなくつても、あたしは自炊には慣れてゐるから――」
彼は、天涯の孤独者であることをはなし、だが屡々あゝいふ遊里で私に出遇つたとは云ふものゝ、それは夜眠れぬために、ふらふらと出歩いたまでゞ嘗て青楼などにあがつたゝめしもない……。
「まつたくもうそんな心の余猶なんてある筈もなく……」
彼は私が訊ねもしないのに、切りとそんな弁解めいたことを口走つたりした。
眼ばかりが、らんらんと光つてゐる男だつた。私は明るみの中を歩く彼の姿を、はじめて眺めた。前こゞみにのめり工合の細く骨張つた肩先きを、物を言ふ毎に角度をつけて振り向くと、おこつた蟷螂に似てゐた。
「この河のふちを半みちも歩かなければならないんですよ。」
「さしづめ、これは河童だな…‥」
彼は、片方に弁当の折、片方に仕事道具らしい手提袋をぶらさげた両腕を、二つの提灯でも持つたやうにさゝげて、田甫道をすたすたと先へ立つた。
恰度|離室《はなれ》が六畳八畳の二間なので、私はもと/\からの南向きの六畳に、彼は西向きの部屋に、わかれた。
私は夜になつても町へ戻らぬ日がつゞきはぢめた。――仕事部屋に引き籠つてゐる彼は、屡々ひとりで
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