ール大學のドクトル・オヴ・フイロソフイで、文藝にも餘程の理解を持つて居られたらしかつた。後にも私との手紙の往復は續いて、私が又作文丁をとつたことなどを知らせると、君は未だ作文に於ける Herald system を知らないまでだ、自分に呉れる手紙を見ると、いつも大層奇拔なるロマンテイツク・スピリツトに富んでゐて詩人の素質が十分だ、いつそ手紙を書く通りに自由に書き、それを和譯する方法をとつて見たら如何か、と注意されたので早速私は、よしツ! と胸を叩いて、その方法にとりかかつて見たが、和譯した文章を眺めると、拷問にかけられても他人の前には提出も敵はぬ幼稚沁みたものに見え、私は腕をこまねいてとつおいつなる長太息を洩らさずには居られなかつた。
斯くの如く體操と作文の爲に最も救ひなき憂鬱《ユーマー》を味はされた中學を終へると、私は一高の理科へ入學するつもりで、本郷に居た醫學士の叔父のところへ來た。あの二科目さへ除けば別に好惡もなく、何んな入學試驗問題集を見ても六ヶしいと思はれるほどのこともなく何の不安もなかつたので、麹町の二松學舍へ通つて作文問題の用意のために改めて漢文と國文に身を入れようとし
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