た。ところが試驗場へ行き、あまり大勢の學生が青ざめてゐるのを目撃すると、一人でも餘分に入學させてやりたいと云はんばかりの凡そ意味もない覇氣見たいなものに驅られて、そのまま方角も知らなかつた早稻田へ人力車を走らせた。パジエツト先生にはあんなことを云はれたが文學的野心は抱いた驗しもなく、讀んだものと云へば押川春浪の「武侠世界」だけだつたので、思はず瞬間的にそんな大それた感情に驅られたのだつたかも知れない。英文科を選んだといふのは、單に自分の英語の習慣に媚を呈したに過ぎなかつた。手續(無試驗)を濟ませて、鶴卷町通りの高島屋支店といふ洋服屋に寄ると、頭髮を綺麗にわけた神經質さうな鋭い眼で、温厚さうな小柄の主人が、何科だと訊ねるので、Lだと答ると、早速ノートを持出して來て自作の詩を朗讀し、感想を聞せて呉れと云つた。その詩は記憶にないが、妙に私はこの時の印象がはつきりしてゐるので記述しておくのだが、おそらく文科生としての文學談を聞いた第一歩だつたからであらう。――彼は私が默つてゐると、珍らしい謙遜家だネと好意を示し、君は何を書く? と云ふのであつた。事實の通り皆無と答へると彼は信ぜず「あてて見ませ
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