うか、ドラマでせう。」と云つた。そして彼が自由劇場の話などを持出したところ、私は二年位ゐ前からアメリカ娘を案内して大分芝居を觀てゐたので多少の受應へが出來ると、いつの間にか彼は獨りで默頭いて、これから先輩を紹介しようと云つて早速案内した。私も何故ともなしに悦んだのである。文科の三年生で本郷素行といふ方だつたのを私は覺えてゐる。本郷氏は書物に滿ちた下宿の一室で腕まくりで論文作成に沒頭してゐた。五分刈頭の學者肌の人柄で、高島屋が、牧野さんはドラマテイストだと紹介すると、本郷氏は凝つと私の顏を見て鷹揚にうなづいた。私は、いいえとか、未だそんな……とかと口のうちで呟いてゐたが、主人と先輩は頻りともうイプセンに就いて語り合つてゐた。私は無論默つて坐つてゐるのだが、凡そそれまでに感じたこともないパジエツト先生の所謂眞の自由と誠なる個性の尊重ともいふべき雰圍氣を事實に觀る想ひがして、何といふことなしに文科生たるの歡びを感じたのを未だに忘れられない。何故なら私はそれまで、個性とか思想とかに就いて語り合つてゐる人の姿を見た驗しもなく、個性を考へるといふことは丁とか戌[#「戌」はママ]とかに匹敵する惡業の
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