ニいふのが評判が惡く、もう駄目かと思つてゐたところ、二十九の頃になつて中村武羅夫氏に會ふと、あれを讃めて下さり、非常に意外な氣がしたと同時に、漸く將來に對して迷妄が深かつた折から、グツとする態の感激を覺えた。そして中村氏をはじめ久保田万太郎氏や故葛西善藏氏に多くの鞭韃を與へられながら、兀々と書くうちに善藏氏の紹介で知遇を得た「中央公論」の故瀧田哲太郎氏に認められ激勵の手紙を頂いたり、幾度か御馳走にあづかつたりした。瀧田氏は、ほんのり醉はれると高島屋や吉右衞門の聲色を聽かせて下され、私にも何か演つてと所望されるのであつたが、私は十年前に本郷素行氏の宿を訪れた時のやうに堅くなつて白黒してゐるばかりだつた。
私の文學的自叙傳は、このあたりから書きはじめるべきと思ひ、前述の項は出來得る限り壓縮しようと苦心したのであるが、自發的に目醒めなかつた私の如き場合では、どんな少年時代の一片をとりあげても、自然と文學へ赴くより他に結局道もなかつたかのシルエツトが感ぜられて特に文學的と區切るべき處置に迷ふばかりであつた。あれこれと思ひ惑ふうちには、文章が不得意なる「作文時代」に戻つたかのやうに生氣を失ひ、
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