u地平線」、私は卒業の後に淺原と下村にさそはれて「十三人」、鈴木は同級の者達と「象徴」、等の同人雜誌に分れたが、私は一年遲く入つた鈴木との交遊の爲に前後三級に渡つての幾人かの人達と文學を語り興奮を覺えたものの、文學とのはじめのきつかけがああいふ始末であるのが内心氣拙く、時には生意氣さうなことも口にしたが、いつまで經つても他の者の方が悉く先輩に見えて、努めても議論などは出來なかつた。稍ともすれば己れの弱小のみを持つて回すといふ風な野暮つたさが、表現の上に度強くなり勝ちなのは何うやら飽くまでもその出發點の雲行に起因したに相違なかつた。で私は又、日本橋へ戻つて叔父の知合ひの毛織物輸入商のオフイスに寄宿して餘念もなくタイプライターなどを叩いてゐるうちに「十三人」の第二號に、學生時代に書いたもののうちから鈴木に選ばれた「爪」といふ小篇が載つたのを偶然にも未知の島崎藤村先生に御手紙で讃められ「新小説」の新進作家號に紹介された。更にその小説を機會に中戸川吉二を知り、雜誌「人間」へ紹介され、また一、二年置いて「文藝春秋」や「新潮」に掲載される機會を得、それは二十六七歳の頃であつた。「新潮」の「熱海へ」
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