學生監に見つかつて停學處分を享けた。生意氣と見られれば途方もなく生意氣に相違なかつたらうが、終ひには墮落呼はりをされるに至つては私も餘程憂鬱にならずには居られなかつた。そして、學期末になると、體操の點が戍[#「戍」はママ]といふ最下等であつた。開校以來の出來事だ左うであつた。作文の丁は默頭けるのだが、さすがに體操の落第點といふのは、努力の仕樣もなく、途方に暮れるうちに、私は益々それが馬鹿々々しくなつて、號令をかけるのさへ嫌ひになつた。體操の教師は二人ゐたがTさんといふ錐のやうな眼の休職曹長が非常に私を憎んだ。どういふ意味か知らないがT先生はジヤツコラといふ綽名で、箱のやうな感じで、歩調の試驗だなどといふと、私ばかりを大勢の前に引き出して、やれ踵が二秒早く降り過ぎたの、脛がもう何ミリ前へ伸びぬからとかと飽くまでも難癖をつけて、他の者の十倍も長く歩かせるのだが、そんなにされれば益々氣持が上つてしまつて、思はずフラフラすると先生は堪らぬ罵聲を擧げて鞭を鳴らした。そして、これを見よと叫んで、自分の歩調の模範を示すのであるが、私には決してその差別が見わけ難かつた。私は、これほど人に憎まれた經驗を未だに比ぶべきものを知らない。――私は終ひにこれは何うも自然に任せるより他はないと觀念して、徒手體操の時になつても、決して力が入らぬやうな動作になつてしまつた。前腕ヲ平ラニ動カセ、オイツ! とか、首ヲ前後左右ニ曲ゲ――など割れるやうな號令の許に、あはや顎のかけがねが脱れんばかりな仁王のやうな大きな口をあけて、オイチ、二ツ、などと絶叫しながら、腕を力一杯に折つたり曲げたり、首などは石ころのやうに亂暴にあつちへ向けたりこつちへ曲げ倒したりして、その勢ひの最も獰猛なやつが甲上だなどといふT先生の訓練法に、私は自づと逆はずには居られなくなつた。先生は私の體操振りを目して、クラゲのやうだとか醉拂の態だとかと憤つて、腕が拔ける程引つ張つたり、首根つこを掴んで振り回したりしたが、責められれば責められる程否應なく私の動作は手應へもなく亡靈と化した。今にして思へば、私のあれらの體操振りは寧ろ現代的なる方法を髣髴する概があつたと思はれるのだ。今では何處の學校や海兵團の體操を見たつて、あんな馬鹿臭いのはありはしない。あんな體操なぞは凡そ肉體に不自然なる激動を與へるのみで終ひには精神作用までをも最も偏頗なる小
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