文學的自叙傳
牧野信一
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《》:ルビ
(例)風流紀行《センチメンタル・ジヤアネイ》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]
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父親からの迎へが來次第、アメリカへ渡るといふ覺悟を持たせられてゐて、私は小學校へ入る前後からカトリツク教會のケラアといふ先生に日常會話を習ひはじめてゐた。先生は日本語が殆んど不可能で、はじめは隨分困つたが、オルガンなどを教はつてゐるうちに私の英語と先生の日本語は略同程度にすすんだ。私は祖父から教會にあるやうな立派な燭臺やストツプのついたオルガンを買つて貰ひ、母親の琴と、六段や春雨を合奏した。電燈が點いて間もない頃だつたが祖父は電氣を怕がつて、行燈の傍らで獨酌しながら私達の合奏を聽き、醉が回つて來る時分になると、屹度、ほツほツほツとわらふやうな聲で泣いた。父親を知らぬ孫の巧みなオルガンの彈奏振りに感激するのであつた。ケラア先生は折々バイオリンを携へて私達を訪れた。祖父は鎖國思想の反キリスト教論者であつたが、そんな晩にはアメリカの息子が贈つて寄越したオイル・ラムプのシヤンデリアを燭して、最も簡單な意見を交換した。大體私が通譯官であつた。――私の父親は中學の課程からボストンに生活し、學生時代を終るとどういふわけで、また何んな程度の位置か知らなかつたが、電信技手となつて U.S.N.Stuckton なる水雷艇に乘つてゐた。造船所にも務めた。父の先輩や友人が乘つてゐる軍艦や汽船が横濱に着くといふ通知を受けると、山高帽子で紋付の羽織を着た祖父と私は人力車で國府津に出て汽車に乘つた。その度毎に私は父からの屆物であるといふ洋服や時計や望遠鏡や物語本などを貰つた。私はいつの間にか、少年雜誌のセント・ニコラスや、ニユーヨーク・タイムスのハツピーフリガン漫畫などを笑ひながら讀めるやうになつてゐた。然し渡航する機會もなく、祖父が歿くなつて、私が中學に入つた年に、父親は第一回の歸國をした。ところが私は、はじめて見る父親を何故か無性にバツを惡がつて一向口も利かうとしなかつた。とても今更空々しくつて、お父さん――などと呼びかけるのは想つても水を浴びるやうであつた、[#読点はマ
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