マ]彼は、つまらぬつまらぬと滾して國府津の海岸寄りの方へ別居した。(述べ遲れたが、私の生地は神奈川縣小田原町である。)國府津町はその頃村で、東海道線に乘るためには電車で國府津へ向はなければならなかつた。自轉車に乘つて父のところへ遊びに行くと、いつもアメリカ人の友達が滯在してゐた。で私もそれらの家族伴れなどの人達に交つて、ピクニツクに加はつたり、凧をあげて見せたりするうちに、彼等と一緒になつて彼等の習慣の中であると、自然に父親とも親しめるやうになり、父と子は相對する場合でない限り、英語で口を利いた。私は、小學でも中學でも凡ゆる學科のうちで綴り方と作文が何よりも不得意で、幾度も〇點をとり、旅先などから母親にでも手紙が書き憎くかつたのであるが(母は私のハガキでも、私が戻るとそれを目の前に突きつけて、凡ゆる誤字文法を指摘した。第一文章が恰で成つて居らず、加けに無禮な調子であると訂正されるうちに、作文でも手紙でも私は、眞に考へたことや感じたことは、そのまま書くべきものではなく、左ういふことは餘程六ヶ敷い言葉を用ひて書くべきだ、左ういふ窮屈を忍んで、決りきつたやうな眞面目さうな、嚴しさうな、そして思ひも寄らぬ大袈裟な美しさうな言葉を連ねなければならぬのかと考へると、文字が亦、これはまた言語同斷といふ程拙劣であつて私は途方に暮れた。親戚などに父の代理として時候見舞などを書かされる場合に、母が傍で視張つてゐるのであるが、私には何うしても、末筆ながら御一同樣へも何卒宜しく御鳳聲の程を――などとは書けぬのであつた。)――父との左ういふ習慣がすゝむと、私は決してそんな冷汗を覺えることもなく、自由となり、未だ父を見なかつた頃からケラア先生に教つてゐたので書き慣れてもゐたのであるが、ちよつとした旅先からなどでも氣輕に、親愛ナル父上ヘとも、汝ノ從順ナル息子ヨリとも書けたし、お早ウ、父サン――などと、彼の友達が居る場合なら呼びかけることも出來た。私は父親の書架に旅行記の類ひばかりが充ちてゐるのを見て、そんなものばかりを耽讀するので家に落着かぬのかと思つた。そして私に、はじめてすすめた本はガリバア旅行記であつたが、私はほんの少し讀んだだけで何故か憂鬱になつて止めた。その書架にどんな本が竝んでゐたか殆ど記憶にないが、ローレンス・スターンの風流紀行《センチメンタル・ジヤアネイ》といふのが酷く手垢に汚れ
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