セスになつて居り、私は母や祖母へ金の追加を乞ふ書簡文を書くことがぼつぼつと巧みになつて、市村座の芝居などに現を拔かし、六代目やハリマ屋の聲色をつかつた。本郷にゐた叔父が人形町に開業したので一緒に移り、叔母の從妹にあたる娘と芝居を見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]つてゐたが彼女が嫁いでからは妙に寂しくなつて早稻田の下宿に移ると、益々母への書簡は巧妙となつた。そして、私はその娘に夥しく輕蔑されて失戀するといふやうなことばかりを空想した短篇などを書きはじめた。柏村、岡田、淺原、吉田、下村などと一廉の文科生振つた口を利くやうになつたが、自分の文學的教養を考へると内心大變に不安であつた。非常なるトルストイアンで特待生である吉田は芝居のプログラムばかりが散亂して英語の本など讀みもしないやうな私の机のまはりを苦々しく見廻して、お前は好くそんな態度で生きて居られるな! とほき出し、小六ヶしい英單語を會話の中へ加へて、どうだ解るまいと悸かすのだが、その發音と素振《ジエスチユア》が餘り物々しく技巧的過ぎて解らず、私は英語は嫌ひで出來ないのだから文句の中にそれを※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入せずに喋舌つて呉れとをがんだ。嗤はれても當然のことと思つてゐるので反感も覺えなかつたが、兎も角自分も隨分と遲れてゐる文學的教養を付けなければならないと考へても、何から讀んで好いのか、また何んなものが好きやら嫌ひやらも解らず、と云つて今更そんなことを友人に訊くのも間が惡いので、思案の揚句、凡ゆる意味で世界の初めから出發しなければならないと思ひ立ち、眞夜中に坐り直して「太初に言葉あり」と讀みはじめた。これが文學に關心を持ち出してからの太初の讀書で、混沌哲學からソクラテス、プレトーン、アリストテレス、エピクテータス、セネカ、パスカル――そしてシヨペンハウエルとすすんで、稍々夢中の度を増したが、一向文學的の世界へ手懸りを見出す餘裕もなく、讀書に關する話題などは誰の前にも持出せなかつた。そんな間に、それでもぼつぼつと書いてゐた短篇をゲーテ研究の柏村に讀ませて添削して貰つてゐたが、或日彼が、何うも俺よりお前の方が文章が巧い(と聞いた時には私は實に驚いた)やうだから俺の譯した「ヘルマン・ドロテア」を讀んで見て呉れと云ふのであつた。何ういふわけか知らないが
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