た。ところが試驗場へ行き、あまり大勢の學生が青ざめてゐるのを目撃すると、一人でも餘分に入學させてやりたいと云はんばかりの凡そ意味もない覇氣見たいなものに驅られて、そのまま方角も知らなかつた早稻田へ人力車を走らせた。パジエツト先生にはあんなことを云はれたが文學的野心は抱いた驗しもなく、讀んだものと云へば押川春浪の「武侠世界」だけだつたので、思はず瞬間的にそんな大それた感情に驅られたのだつたかも知れない。英文科を選んだといふのは、單に自分の英語の習慣に媚を呈したに過ぎなかつた。手續(無試驗)を濟ませて、鶴卷町通りの高島屋支店といふ洋服屋に寄ると、頭髮を綺麗にわけた神經質さうな鋭い眼で、温厚さうな小柄の主人が、何科だと訊ねるので、Lだと答ると、早速ノートを持出して來て自作の詩を朗讀し、感想を聞せて呉れと云つた。その詩は記憶にないが、妙に私はこの時の印象がはつきりしてゐるので記述しておくのだが、おそらく文科生としての文學談を聞いた第一歩だつたからであらう。――彼は私が默つてゐると、珍らしい謙遜家だネと好意を示し、君は何を書く? と云ふのであつた。事實の通り皆無と答へると彼は信ぜず「あてて見ませうか、ドラマでせう。」と云つた。そして彼が自由劇場の話などを持出したところ、私は二年位ゐ前からアメリカ娘を案内して大分芝居を觀てゐたので多少の受應へが出來ると、いつの間にか彼は獨りで默頭いて、これから先輩を紹介しようと云つて早速案内した。私も何故ともなしに悦んだのである。文科の三年生で本郷素行といふ方だつたのを私は覺えてゐる。本郷氏は書物に滿ちた下宿の一室で腕まくりで論文作成に沒頭してゐた。五分刈頭の學者肌の人柄で、高島屋が、牧野さんはドラマテイストだと紹介すると、本郷氏は凝つと私の顏を見て鷹揚にうなづいた。私は、いいえとか、未だそんな……とかと口のうちで呟いてゐたが、主人と先輩は頻りともうイプセンに就いて語り合つてゐた。私は無論默つて坐つてゐるのだが、凡そそれまでに感じたこともないパジエツト先生の所謂眞の自由と誠なる個性の尊重ともいふべき雰圍氣を事實に觀る想ひがして、何といふことなしに文科生たるの歡びを感じたのを未だに忘れられない。何故なら私はそれまで、個性とか思想とかに就いて語り合つてゐる人の姿を見た驗しもなく、個性を考へるといふことは丁とか戌[#「戌」はママ]とかに匹敵する惡業の
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