かといふことも気づかず、切符を買つて再びプラツトホームへ引き返して行つた。途中で振り返ると、向方の三人は此方を見送つてゐた。それでも僕は、自分の奇行に気づかずに、もう一度帽子の縁に手をかけて、
「さよなら。」と挨拶した。娘達も手を振つたが、向方の三人が、あまりに意味もなくニコ/\として此方を見送つてゐるので、僕はもう一度帽子をとらうとして、不図気づくと、帽子などはかむつてゐなかつた。

     六

 僕は孤独を愛す。
 僕の世界はこの展望の一室だけで永久に事足りるであらう。僕は僕の胸のうちにあるアルキメデスの測進器に寄り、風を介して、無言の現実と親しむのである。
 A子に関する彼の記述は、この十倍あまりもあるのであつたが、そのうち最も平凡な以上の記述で中断されてゐる。あれ以来彼とA子とは親しく往来する仲になつてゐたが、何故か彼の眼鏡は方向を転じて、町端づれの裏道にある薄暗い長屋に向けられてゐた。A子の部屋と同様に手にとる如く観察出来る一室の家を見出した。
 その家にも娘がゐた。理学士のノートには、この一室の展望記が日毎に誌されてゐた。――彼は、この娘の父親とも偶然に裏町の食堂で知り
前へ 次へ
全15ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング