居るばかりであつた。僕には、あのA子の部屋のみが、輝ける空中楼閣であつて、「地上」で見出すA子の姿などには、何んな魅力も感じてゐない自分を知つた。――僕は、二月も前から電車の中でだけ読むために携へてゐるが未だ十頁も読んでゐない(何故なら僕はA子の部屋を眺めてゐない他の時間でも、不断にあの部屋の幻ばかりを夢見てゐて何事も手につかぬのであつた。)「花の研究」といふ小冊子をとり出して、何時になく落ついた心地で、冒頭の一節を読んでゐた。
「試みに路傍の草の一葉をとりあげて見るならば、吾等はそこに独立不撓の計らざる小さな叡智が働いてゐることを知るであらう。例へば此処に吾等が散歩に出づる時は何処でゝも常に見出す二つのしがない葡萄草がある。これは一握りの土のこぼれた不毛の片隅にでも容易に見出される野生のルーサン即ちウマゴヤシの二変種である。最も通俗の意味で二種の「雑草」である。Aは紅色の花をつけ、Bは豌豆大の小さな黄色の球をつけてゐる。彼女等が尊大振つた野草の間に匐ひ隠れてゐるのを見る際、誰が、かのシラキウスの著名なる科学者よりも遥か昔に、彼女等が自らアルキメデスのスクリウを発見して、之を飛行の術に
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