か、さつぱり心に何の目当も無いのに――。その芝居は、愚かな母をうまく煽動した。
 母は、お前の可憐な心持は好く解つた――といふつもりらしく唇に力を込めて、微かに点頭いた。そして夫の顔を凝と視詰めた。
 そこで彼は、父の立場を気の毒に思つて、
「それで……」と母に向つて云つたが、何と云つていゝか何《ど》んな言葉も続かなかつたので、たゞ如何にも物解り好さ気にニヤ/\しながら、隣家から駆けつけたお座なりの仲裁人の気持で、好い加減に口のうちで
「まアまア!」と呟いだ。
 何とかして母の気分を紛らせて、父と母とお蝶と芸者達と、そして自分とが皆な有頂天になつて笑ひさんざめいたらさぞさぞ面白いことだらう――彼はそんなことを考へた。さう思ふと彼は、四角張つて自分の前に端座してゐる母の格構を打ちくつろがせるやうに計ることが、難題であればある程興味深く思はれた。遊女は凡て汚らはしき者と思ひ切つてゐる母である。彼が嘗て、遊里を讚賞する詩をつくつたのを母に発見された時には、
「腹を切る度胸があるか?」母は斯う叫んで拳を震はせた。
「ある一瞬間の心のかたちを、詩に代へたまでのことだ。」と彼は答へた。たしか彼が二
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