十歳の時だつた。
「そんな子供は、私は生まない。」
「生まないと云つたつて、私は此処に斯うしてちやんと坐つて、息をしてゐる。」
「この親不孝者奴!」
母は夢中になつて、納戸へ駆け込んだ。間もなく母は、古ぼけたつゞれ[#「つゞれ」に傍点]の袋に入つた懐剣を携へて来て、彼が絵草紙で覚えのある桜井の駅の楠公の腕の如く、ぬツと彼の鼻先へ突きつけて、
「さア!」と云つた。人間の心持が高潮に達した時は、芝居的になるものだ。演劇のワザとらしさを笑ふのは不自然な業かも知れない――この時そんなことを思つたのを彼は今でも記憶してゐる。
「これは私がこゝの家に嫁に来る時持つて来た岡村家の女の魂だ。」
「女の魂?」彼は思はず慄然として問ひ返した。
「こゝの家はどうか知らないが、女だつて貴様のやうな腰抜にヒケを取るやうな女は、岡村の家にはゐないぞ。」
自分の里のことは何から何まで立派なものと据えておいて「こゝの家/\。」と此方の一味ばかりを、何の場合にでも弱虫の例証にしたがる母の愚が、グツと彼の胸に醜くゝ迫つた。
「私はこゝの家の長男だ、――口が過ぎる。」
「腰抜ざむらひの子か!」
「何だと……」
彼はカ
前へ
次へ
全53ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング