んでゐた。
 酔つて足もとの危い彼は、宮原に促されて不精無精に清友亭を出た。周子も昼間、宮原に伴れられて帰つたが、何としても厭だと云つて今は宮原の家に居るといふことだつた。
 彼は、宮原の後ろに従つて、仮普請で建付きの悪い格子を閉めて自家の玄関を入つた。彼の胸は怪しく震へた。子供の時分、運動会で出発点に並んだ時、これに似た気持を経験したことがある――などゝ彼は思つた。
 清親と母は、物思ひに沈んでゐるだらうと思つた彼の予感を裏切つて、割合に明るい顔をしてゐた。清親は正面に大胡坐を掻いて、酒を飲んでゐた。そして彼の顔を見ると、確かに笑つてゐた顔を急に六ツヶ敷く取り直した。
 彼は挨拶もなく、敷居傍にぬツと坐つた。その彼の態度を、母が苦々しく感じたことを悟つた彼は、更に太々しく黙つて煙草を執つて、悠々と煙を吹いた。
「おーい、俺にもお酒を持つて来てお呉れ。」
 彼は、台所の方へ声を掛けた。
「何しに帰つて来た?」と清親は眼を据えて彼を睨めた。
「何しに帰つて来たとは何だ!」彼も清親のやうに太く重い作り声で、訊き返した。
「何事です。」と母は飛びつくやうな声を挙げた。「叔父様に挨拶をしなさい
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