…ところで、梅ヶ枝の手水鉢――といふ唄を皆なで合唱しよう。」
 周子は、唄のことは知らなかつた。それで、酔つ払ひにからかふのは止めようとでも思つたらしく、赤い顔をして横を向いた。
 この機会を取り脱しては、また厄介だと悟つたお蝶は、二三人の若い芸者に三味線を引くことを命じた。「梅ヶ枝の――」ではなく、彼の知らない賑やかな囃しが始まつた。お光が気乗りのしない掛声をして、鼓を打ち、太鼓をたゝいた。
「あゝ清々といゝな! この分なら親父の二代目だぞ……」
 ふつと彼は喉が塞つた。
 彼の酔つた頭は、意久地もなく無反省に、明るく溶けてゐた。
「合掌!」わけもなく彼は、そんな気がして、思はず静かに眼を閉ぢた。
 ――父上、私は何もいりません、私はあなたの凡ての失敗を有り難く思つてゐます。
 暫くあなたに会ひませんでしたね、――この世に在ることも、無いことも、そんな区別はもう止めに仕様ぢやありませんか! どうですか、解るでせう、……少しも私は悲しいだの、寂しいだのなどゝは思ひません、愉快ぢやありませんか! 今日は、またひとつ大いに飲まうぢやありませんか。
 いつか私が、あなたから招ばれて、どうも阿
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