家が潰れて以来彼は東京へ出て、以前関係のあつた新聞社の社会部の下級社員に採用して貰つたのだ、そして小胆な彼は汲々として働いてゐるのだ、母達の懸念とは全く反対に、母や妻や子供のことばかしを案じながら、文字通りに善良な日を過してゐるのだ。
「お父さんが丈夫な時分は好いだらう、私だつてお前が思つてゐる程のお金持ぢやないよ、それだのに此頃は、この前に務めた頃に比べると五六倍も余計なものを……」
「僕は、これから東京で事業を起さうと思つてゐるんです。」彼は、てれ臭さのあまりそんな出たら目を口走つた。彼は新聞社へ入つた当座は、お調子者だから気軽くぽんぽんと飛び廻るので大分うけ[#「うけ」に傍点]も好かつたのだが、近頃では次第に同僚達に安ツぽい肚を見透かされて、今では社内の軽蔑の的になつてしまつたのだ。
その癖彼は、自家に戻ると母や細君やお蝶の前では、夢にもない大きな法螺を吹くのだつた。例へば、もう半歳もすれば社会部長に昇進するとか、社長に最も信用のあるのは自分だけで、現在では社長の第一級の秘書を務めてゐるとか、だから一ヶ月のうち半月は休んでもいゝのだとか、だからそれは一家一族の名誉にもなることだ
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