らない――といふこと……そんな相談はいろいろと彼に持ちかけるのだが、彼は何の返答もしなかつた。横を向いて、間の抜けた顔をしてゐるばかりだつた。暗い相談ばかりを選んで持ち懸けられるやうな不平を感じたりするのだ。――どんな悲しい破境に陥つても、何か其処に面白い明るさがなければならない、例へば家が破産と決つたら、整理するなんていふことは止めて、あるだけの物で各々享楽した方が増だ――父が死んで以来彼の頭は常規を脱してゐるに違ひない、そんな幼稚な享楽派の文学青年でもが云ひさうなことを、稍ともすれば心から考へたりするのだつた。
 つい此間も、母は彼に斯んな事を云つた。
「この先お前はひとりで、暮しが出来ると思つてゐるの?」
「……」彼は出来るとは思はなかつたから黙つてゐた。そんな抽象的な(彼は、面白くない話になると直ぐに抽象的だなどゝ決めて、手前勝手な憂鬱を感ずるのが癖だつた。)……そんな女々しい予想に怯かされるなんて恥とする――母の言葉でほんとに彼は怯かされたもので、虚勢を示したのだ。
「出来ると思ふんなら、東京へ出るのもいゝでせう、だが私にはそれは信じられない。お父さんはお前にこそ云はなかつた
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