―その時、僕等の後ろから覗き込んでゐたTが、
「あツ――いけねえ/\。」
と呟きながら向ふ側へ逃げて行つた。
「未だ、ありますよ――あんなのが……」
主が棚を指差したので、見ると、其処には僕等の大きな手風琴が、「金三円也」といふ正札を貼られて、載せてあつた。背中から十文字に皮のバンドで吊してから弾奏するといふやうな大変時代おくれのハンド・オルガンである。
「二つとも、借りてつても好い――をぢさん。」
「どうせ、売れやしないでせう。今度お金のあつた時に直ぐに払ふわ。」
メイ子と細君は、僕が、止めた方が好いだらうと遠慮したにも関はらず、主に向つて虫の好い買戻しの交渉をはじめた。そして直ぐに交渉は、まとまつた。
楽器を携へた僕等がTに追ひついて、
「未だ馬車は来ないの、もう通つてしまつたんぢやないか知ら?」
と不安心の問を浴せると、Tはそれには答へずに赤い顔をしながら弁解した。
「正札を貼りつけるなんて、何といふ皮肉な親爺だらう。失敬な――。直ぐに取りに来るからといふ約束で僕は、預けて置いたのに――」
「それでTさんは、町のカフエーに遊びに行つたの?」と細君も意地悪を云つた。
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