は不快な蒲団部屋と終ひにはトリを連想して、岩吉を憎んだ。岩吉は、どうやら独身者であつたと思ふが、その辺は何の覚えもない。トリは間もなく町でも評判の小町女中と噂され出し、或る有名な実業家の別荘へ小間使ひに抜擢された。
 人車が軽便鉄道に改良されたのは、たしか私が旧制度の高等一年(今の尋常五年生)の時で、その前年の冬祖父は亡くなつてゐたのだ。
「おぢいさんは、とう/\、この汽車を見ずにしまつた。御覧になつたら何んなに悦んだことだらうに……」
 と婆さんが述懐したのを私は厭にはつきりと覚えてゐる。婆さんと阿母と私は儀式張つた身装で入木亭の開通大祝賀会に招待された。街には軒並みに赤い幔幕が張られ、山車の花で飾つた底抜屋台が繰り出し、いつの間にか小田原へ戻つてゐた岩吉が芸妓連にまぢつて横笛を吹奏してゐた。会社の前には巨大な杉葉の緑のアーチが建つて、アーク灯といふ大ランプが煌めいた。あれを十《とう》かぞへる間眼ばたきをしないで視詰めてゐると目が回つてしまふと人々は驚嘆した。一台の花電車が三日も前から町の上下を運転して、弁当持で便乗する見物客が満員だつた。入木亭の店先には熱海の早咲の梅花が生けられ、
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