熱海線私語
牧野信一

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)どうも人車《ジンシヤ》つてえ

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)熱海のあの[#「あの」に傍点]宿屋に

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)姑と嫁がさも/\仲睦しい
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     一

 一九三四年、秋――伊豆、丹那トンネルが開通して、それまでの「熱海線」といふ名称が抹殺された。そして「富士」「つばめ」「さくら」などの特急列車が快速力をあげて、私達の思ひ出を、同時に抹殺した。帝国鉄道全図の上から見るならば、僅々十哩? 程度の距離であるが、生れて四十年、東京と小田原、小田原と熱海の他は滅多に汽車の旅を知らぬ蛙のやうな私たちにとつては、憶ひ出の夢は全図の旅の夢よりも深く長かつた。私たちは旧熱海線の小田原町に生れ、私の最も古い記憶に依ると、小田原ステーシヨンの広場のあたりが祖父母や母と共に私が育つてゐた家の竹藪に位ひした。私は未だ小学校へも通つてゐなかつた。
「近頃は、どうも人車《ジンシヤ》つてえ便利なものが出来たんで熱海行はすつかり楽にな
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