も珍らしくなかつた。わずかの雨でも線路が滑つて屡々人車は断崖から転落した。
熱海まで無事に走つて四時間なのだが、大概爺様が途中で痔病が起り、真鶴で降りた。石倉八郎丸といふ海辺寄りの大きな漁家に立寄つて、息を衝いた。どういふわけか知らないが私は一歳から三歳までの間この家で育てられたといふことを聞いた。非常に肥つた女房が、何年か後私が一二年の小さな中学生になつた頃でも私を見出す毎に、まあ/\と云つて抱きあげようとした。私より一つ二つ齢上のトリといふ娘がゐて、私が学校の課題のための海藻採集に赴くとトリは烏帽子岩へ案内して呉れ、素裸になつて海中に飛び込んだ。飛び込む瞬間にはトリは、岩の先へ駆け出して着物を脱ぎ棄てると後ろも見ずに水の中へ姿を消したが、やがて両手に栄螺や藻をつかんで顔を現すと、にこ/\と笑ひながら獲物を投げ出し、
「こつちを向いてゐちや、いけネエよ。オラ、あがれやしないぢやないか。」
と手を振つた。後にトリは、熱海のあの[#「あの」に傍点]宿屋に奉公した。その頃はもう祖父も居らず私達は熱海へ赴いても滅多に宿屋へは泊らなかつたけれど、夜更けに岩吉が千鳥足か何かで戻つて来ると、私
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