なければ不首尾になりさうで悪口を云ふ傾きでもあつた。然し、面白くはあつたが、彼の人物を好いてゐないのは確かでもあつた。
「屹度もう居眠りがはぢまつてゐますよ。」
 と彼は私をそゝのかすのであつた。私は、空呆けてはゐたものゝ内心彼の、その勧誘を期待してゐるのであつた。そつと跫音を忍ばせて、土蔵寄りの蒲団部屋を窺ふと、大概は二人か三人の若い女中が居眠りどころか前後不覚に寝倒れて居た。激しい労働の疲れで、熟睡を盗んでゐる者の、仮の寝姿は、わずかに廊下のランプに明るんでゐる障子の内で蒲団の山々の合間に、恰度「波の戯れ」と題するベツクリンの作画に見るかのやうな怪奇美に溢れてゐた。否、単に戦慄すべき醜悪と云ふべきが至当であつたらう。私は絵草紙の中の惨憺たる殺人の光景を眼のあたりにする大そうな滑稽感で、声でもあげておどろかしてやらうとすると、岩吉の八ツ手のやうな掌が私の鼻と口をおさへた。

     二

 小田原を出発する私達は主に明方の一番車であつたが、停車場の前の入木亭といふ待合茶屋へ乗り込んで、天候の次第を待たなければならなかつた。一番の発車時刻が三時間も五時間も遅れて終ひに翌日延になること
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