…」
「つけてゐないの?」
「時々――」と、自分は小声で呟いた。この頃書く小説は日記のやうなものだ、と自分は秘かに弁明した。
 自分は、前の日と同じやうに独りで箱のやうな部屋に引込んで机に突伏してゐた。見えない処にあれを蔵つてしまひたかつたが、そんなわけにもゆかなかつた。――自分は、未だ誘惑されてゐるのだ。その他には、何の思ひも働かなかつた。
「××は居ないのかね。」
 自分のことを、年寄りの叔父が母に訊ねてゐた。
「昨夜、徹夜で勉強したとかと云つてゐましたから、大方奥で休んでゐるんでせう。」
「何あんだ、こんな時に勉強だなんて――でも、まあ酔つ払はれるより好い、ハハ……」
「この頃は、お酒もあまり飲まないさうなんです。」
「飲むも飲まないもあるものか、あの年頃で……無茶苦茶さ。」
 自分が聞いてゐることを知らないで話してゐるらしいので、自分は出かけて行かうかとも思つた。
「でも、もう三十一なんですからね。」
「ほう、もうそんなになるのかな……」
 しばらく経つて母が、
「寝てゐるの?」と云つて唐紙を開けた時自分は、居眠りをしてゐる通りな様子で巧にすやすやしながら机に伏してゐた。自分は
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